は じ め に
 私たち神戸市民にとって、痛恨の大惨事であった、阪神淡路大震災から15年の歳月が過ぎ去りました。「光陰、矢の如し」という言葉通り、15年の歳月は、驚くほど早く過ぎ去っていきました。しかし、そのことは、同時に、あの大惨事が、私たちの心の中に、まるで昨日の事のように、今尚、鮮明に刻みこまれていることに他なりません。
 震災の直後、私を捉えた感情は、「一体、これから、どうやって生活していくのか」、という不安でした。神戸元町商店街で呉服商を営む私にとって、震災後の惨状の中で、とても商売が出来るとは思えませんでした。一体、商売が復調するのに、どれぐらいの年数がかかるのだろうか、はたして、それまで商売を持ちこたえることが出来るのだろうか。
 震災の丁度、1年前に、弊店は、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」という、音楽をモチーフにしたオリジナル商品の制作、販売を始めていました。趣味の音楽と商売が合体して、着物という和の世界に、洋の音楽を採りいれたのです。バイオリンやピアノをモチーフにした着物や帯の創作は、それまで呉服業界にはほとんど皆無でした。震災後の惨状の中で、私は、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」を被災地以外の場所で販売することに活路を求めました。京都、名古屋、大阪、をはじめ全国各地で開催した販売会の会場で、なぜ、弊店が、音楽をモチーフにしたオリジナル商品を制作、販売するのかをご理解いただく一助として、私たち夫婦と音楽仲間で、ミニコンサートを開きました。
 震災から9ヶ月が経った、1995年10月に、神戸元町商店街に在る、「丸太や」店内で、震災後、最初の、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の発表会を開催いたしました。同時に、店内2階にて、「Motomachi Music Week」と名付けたミニコンサートを始めたのです。その後、「まるたやフレンドリーコンサート」と名を改め、毎年、春4月、秋10月、と年2回、開催し、回を重ねてまいりました。

「まるたやフレンドリーコンサート」の始まり
「まるたやフレンドリーコンサート」の歩み
これまでの「まるたやフレンドリーコンサート」
「まつり文化」から「くらし文化」へ
「かりもの文化」から「ほんもの文化」へ
「退行の社会」から「成長の社会」へ
「破壊」から「創造」へ
「共生の社会」を目指して「共感の場」の創出