「かりもの文化」から「ほんもの文化」へ

 文化がカルチャーだとすると、まさに文化は耕すことです。コツコツと大地を耕し、心を込めて種を蒔き、セッセと水遣りをする。文化を生み育てるために、何よりまず大切なのは、大地を耕すことです。自分自身が、自分自身の足で踏み立つ大地を。私は、生まれも育ちも、日本という国の、神戸という街です。ですから、私が踏み立つ大地は、神戸の地を措いて他にありません。私が文化を生み育てようと望むなら、生まれ育った神戸の大地を耕すことから始めなければならないのです。神戸には、日本中の、世界中の、他の如何なる場所には無い、唯一無二の風土があります。神戸の大地に生まれ育ちゆく文化は、唯一無二の神戸の風土からしか生まれ育たない文化です。文化は優れて自生するしか無いのです。
 文化は大地にしっかり根を張ってしか生まれ育たないのです。他の場所に生まれ育った文化が如何に立派であろうと、安直に移植することは出来ないのです。しかし、現実はどうか。他所の場所の、その大地からしか生まれ育たなかった唯一無二の固有の文化を、その果実の豊饒さゆえに、いとも安易に借用して事足れりと自得することの何と多いことでしょう。借物は仮物に過ぎません。どれほど立派に見えようと決して本物にはならない。「かりもの文化」はいつまでたっても「ほんもの文化」にならないのです。
 私たちは、自分自身で、自分自身が踏み立つ大地を耕し、種を蒔き、水を遣って 文化を生み育てねばなりません。たとえ、その実りが如何に貧しくとも、その実りから得られた文化の種を再び蒔くことを繰り返さねばなりません。「かりもの文化」で、うわべを飾ることに汲々とするのではなく、自分の心でが感じたこと、頭で考えたことを、自分の手と足を動かして、倦まず焦らず、繰り返していくことでしか、「ほんもの文化」は生まれ育たないのです。