「退行の社会」から「成長の社会」へ

 数年来、「ゆるキャラブーム」なるものが全国各地で風靡しています。私には不気味な現象に思えてならないのです。一言で言うと、社会全体の退行現象と思えるのです。「ゆるキャラブーム」に象徴されるように、今、日本の社会で、退行現象が瀰漫しています。理由は、原因は、多々あるでしょう。種々様々な要因が重なり合っているのでしょう。大事なことは、これから、日本社会が直面せざるを得ない困難な状況を克服していかねばならない時に当たって、社会全体の脆化の危険な兆候として黙視できません。
 人気が出ると話題になる、という極めて低次元な発想で、全国津々浦々、雨後の筍のように「ゆるキャラ」が出現するのは異様です。「ゆるキャラ」とは一体、何でしょう。表情が無い、感情が無い、思想が無い、判断が無い。見事なぐらい何も無い、空っぽ。有るのは、「ゆるキャラ」という文字通りのぬるま湯状態です。では、なぜ、「ゆるキャラ」のぬるま湯状態が、かくも持て囃されるのか。それは日本人が、思考停止、判断停止、行動停止、に陥っているからです。眼の前に山積する困難な状況から逃避するために。
 早いか遅いか、長いか短いかは兎も角、誰の人生にも、試練の時期、至難な時期は巡り来るものです。しかし、人生の途上で誰もが避けて通れない困難に、正面から立ち向かい乗り越えていくことで、人間は成長する。一回り大きくなれる。しかし、そのためには、覚悟がいる、努力がいる。「ゆるキャラ」は、困難に立ち向かい乗り越える、覚悟、努力を拒否し、逃避しようとする人達に、癒しという隠れ蓑を与えているのです。今、日本の社会が、「ゆるキャラブーム」で盛り上がっている状態は、社会の健全な発展に不可欠な成長への意欲、努力の欠如に他なりません。
 「まるたやフレンドリーコンサート」を開催することは、私にとって、共演者にとって、決して安易なことではありません。モーツァルト、ベートーベン、をはじめ、大作曲家の傑作を演奏することは、技術的にも、精神的にも、至難です。さらに、ミニコンサートとはいえ、お客様を前に演奏することは大変な緊張を強いられます。音楽を本業としていないのに、なぜ、これほど困難な作業を続けるのか、何度も何度も自問自答します。その都度、「音楽が大好きだから」という自明の答えを出すのですが、さらに答えを探すと、「成長できるから」。
 一介の呉服屋が、ミニコンサートとはいえ、コンサート活動を続けていくことには様々な困難が伴います。その困難を、共演者の方々の協力と、鑑賞者の方々の支援で、克服していけることが、どれほど、私に、自信を与えてくれることでしょう。以前よりアガらなくなった、弾けるようになった、と自分自身の成長を確認できることは、私に生きる力を、生命力をもたらしてくれるのです。共演者の方々も、きっと、「まるたやフレンドリーコンサート」から、何かを身につけてくださったことでしょう。「退行の社会」に陥りかねない状況を、「成長の社会」へ変えていくためには、人間の生命力が不可欠なのです。