第九章 来るべき社会像の実現に向けて
「価値強奪社会」から「価値共創社会」へ
 なぜ、私たちの国、日本が、こんな国に成り果ててしまったのかを考えると、戦後の高度成長の最中(さなか)、バブル経済が惹起し、崩壊したことにある、と断言できます。バブル経済とは何だったのか。まさに風船のように、大きく膨らんでいても、中は唯の空気で、ちょっと針で突いただけで、一瞬にして、破裂する。では、なぜ、バブル経済が惹起したのか。
 第二次世界大戦の敗北で、日本は、廃墟と化しました。明治維新以降の近代化の遺産は、ことごとく灰燼となったのです。戦後復興は、まさに、ゼロからの再出発でした。無から有を創り出すために、日本人は、必死で「ものづくり」に励みました。松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、豊田喜一郎、を先頭に、日本人すべてが、「ものづくり」に邁進したのです。その努力の甲斐あって、「メイド イン ジャパン」は、世界中から、高品質、高性能の評価を得て、世界中で販売され、その結果、日本は、輸出大国として多大な外貨を獲得し、日本人は、一億総中流になったのです。
 しかし、日本の企業に利益が増えていくにつれ、企業に余剰資金が貯まってきて、資産運用で、さらに資産を増やすことを始めると、「ものづくり」で利益を生むよりも、容易に利益が生み出せたのです。企業は、次第に安直に流れ、コツコツと「ものづくり」で努力することを疎(おろそ)かにし、株、土地、美術品への投資に走った結果、バブル経済が惹起したのです。
 バブル経済の崩壊は一瞬でした。アッと言う間に、莫大な損失が発生し、金融機関までもが倒産する事態に陥ったのです。日本経済は瓦解し、社会は混乱し、国民は困窮に陥りました。バブル経済の破綻処理に、政府は、経済対策を打ち出しましたが、大企業、金融機関への弥縫(びほう)的救済策に過ぎず、根本的な解決策には程遠かった。「ものづくり」を蔑(ないがし)ろにしたことが原因であるにも係らず、原点に立ち返って、「ものづくり」に真摯に取り組む努力を怠ったのです。
 翻(ひるがえ)って、なぜ、人類は、万物の霊長になり得たのでしょう。それは、人類だけが、「ものづくり」、すなわち創造的行為をなしえたからです。無から有を創り出すことを可能にしたからです。人類は、生産者の「ものづくり」によって、衣食住に係る産品を創り出すことで、生産価値を生み出し、貨幣経済によって、産品を広範囲に流通させることで、交換価値を生みだし、さらに、消費者が、産品を使用することで、使用価値として価値実現する、という価値の再生産の循環を創り出したのです。価値の再生産の循環によって、社会全体の価値の総体は、次第に増大してゆきました。人類の歴史が、進歩の歴史でありえたのは、まさに、社会全体の価値の総体の増大の結果なのです。
 バブル経済崩壊後の日本が、「失われた20年」「失われた30年」と言われるほどに停滞したのは、価値の再生産の循環が機能しなかったからです。大企業、富裕層の救済を最優先した結果、本来なら、価値の創出に係るすべての日本人に配分されるべき価値が、大企業、富裕層に過分に配分され、その結果、大多数の日本人から価値が奪われたのです。この十年間の経済政策は、さらに意図的な円安、株高誘導、中抜き、ピンハネ横行で、日本は、「価値強奪社会」と化してしまったのです。
 はたして、日本の復活はありうるのだろうか。あります。それは、すべての日本人が、それぞれの立場、生産者、流通者、消費者として、それぞれに生み出す価値、生産価値、交換価値、使用価値を、さらに大きく、共に創り出す「価値共創社会」を実現することで可能になるのです。