第三章 個の確立
「権威盲従社会」から「自主独立社会」へ
 なぜ日本が、未だに「タテ社会」を脱却できないのか。やはりそれは、日本人の心性に帰するところが大きい。日本は、水稲耕作が伝来した弥生時代以降、定住型水稲耕作社会でした。水稲耕作で一番重要なのは共同作業です。田植えから稲刈りまで、村人あげての農作業が必要不可欠なのです。田圃の耕作、灌漑設備の整備、治水、虫害駆除など、一人では出来ない作業ばかりなので、個人の判断、思慮よりは、集団の統率、指導が重要になる。自ずと統率者、指導者の権威が高まるのです。日本人の心性に、権威者への盲従が習い性となった所以(ゆえん)です。
 定住型水稲耕作社会であった日本も、近代国家となった明治以降、お百姓さん(農業従事者)は減り続け、第二次世界大戦以降は急速に減少しました。農業以外の職業、工業、商業等に従事する人口が増え続けたのです。ところが、長い歴史の中で、水稲耕作の従事者が圧倒的多数であった名残か、権威盲従の日本人の心性は一朝一夕に変らないのです。
 しかし、工業、商業等、他の職業に於いては、共同作業の必要性のみならず、個人の創意工夫などが極めて重要です。権威に盲従しないで、自らの意思と努力によって新分野を開拓してこそ、発展はあり得る。バブル経済崩壊後の日本経済が、「失われた20年」どころか、いつの間にか「失われた30年」になってしまったのは、「権威盲従社会」が、潜在的な発展力を押し殺してきたからではないか。今こそ、個々人の豊かで大胆な発想が生かされる「自主独立社会」を実現しましょう。

「勝ち馬に乗る社会」から「負けるもんか社会」へ
 選挙の度に聞かされるコトバに、「勝ち馬に乗る」。実に不愉快、というか、情けない、というか、志しはないのか。「勝ち馬に乗る」方も方だけれど、あながち責める気になれません。みんな不幸なんだ。今以上に不幸になりたくないから、勝ち馬に乗って、多少でも、おこぼれを頂戴しよう、というサモシイ魂胆は、それはそれで切ない。今の日本は、それほどに「不幸の連鎖社会」なのです。負け犬の遠吠え、でもいいから、「負けるもんか」とカラ元気をだそうではありませんか。

「寄らば大樹の陰社会」から「独立独歩社会」へ
 「寄らば大樹の陰」というコトバも、イヤですね。しかし、このコトバも切ない。みんな、それほどに不安なんだ。いつ不幸のどん底に転落するかもしれない、という。私は、「丸太や」という家業の呉服屋になって、50年になりますが、ある時は、「丸太や」はつぶれる、と噂されるほど営業不振の時期もあったし、家内と二人だけで商売していた頃もありました。しかし、一度も後悔したことはなかった。自分の人生を、自分で決められるから。お陰様で、ナントかカントか、今日まで細々とながら商売を続けさせていただきました。感謝、感謝です。