第二章 対等な人間関係の構築
「タテ社会」から「ヨコ社会」へ
 今から50年ほど前、中根千枝著「タテ社会の人間関係」を読んで、目から鱗になりました。社会という、空気のように目には見えないけれど、すべての人間を包摂する組織体の構造が、一目瞭然になったような気になったのです。以来、私にとって、「タテ社会」というコトバは、社会の不可思議な謎を解く鍵(キーワード)になりました。
 「タテ社会」とは言い得て妙で、社会を構築する人間関係が、すべからく上下関係になっている。上下関係の「上」「下」とは、地位の序列を意味し、上意下達のコトバどおり、「上」は「下」を支配し、「下」は「上」に従属するだけなのです。
 現下の日本に充満する社会問題、パワハラ、セクハラ、アカハラ、等々の原因は、日本が「タテ社会」であることに起因する、と私は考えます。その結果、「下」に属する人たちは、理不尽な境遇に追いやられ、どんどん不幸になって、その不満のはけ口を、さらに「下」の人たちにブツケルことで、「不幸の連鎖社会」が止めようもなく拡大しているのです。
 では、「不幸の連鎖社会」を食い止めるには、どうすればよいのか。「不幸の連鎖社会」が、日本が「タテ社会」であることに起因するのであれば、「タテ社会」を「ヨコ社会」に変えればいい、否、変えねばならない。「ヨコ社会」というコトバは、私の造語ですが、「タテ社会」の人間関係が上下関係であるのに対して、「ヨコ社会」の人間関係は水平関係です。人間関係が水平関係である、とは、平たく言うと横並び。人それぞれ、貴賤、優劣は違っても、この世に生きることにおいては、みんな同じ、平等なのです。だから、上下関係の「タテ社会」が支配従属なのに対して、水平関係の「ヨコ社会」は共存共栄となる。

「国家主義社会」から「民主主義社会」へ
 戦前の日本は「国家主義社会」でした。「国家主義」というコトバは歴史的概念で、日露戦争後、当時の日本政府が、国家体制を護持するために構築した理念で、その根幹は日本の「タテ社会」化でした。以後、「国家主義」を社会の隅々にまで貫徹した日本政府は、軍国主義を暴走させ、第二次世界大戦の敗北を招来したのです。
 戦後、日本は、戦争の惨禍の反省に立ち、「民主主義国家」としての再生を期しました。「民主主義」を標榜することで日本を「ヨコ社会」化しようとしたのです。しかし道半ば、志半ばで、戦争の記憶の薄らぐこととあいまって「国家主義」の復活が画策され、10年ほど前、到頭、「国家主義」が、「民主主義」を奪い取ってしまったのです。最早、日本の「民主主義」は形骸化し、「民主主義国家」の体を失ってしまったのです。堕ちるところまで堕ちた。私には、私が生きている間に、日本が、こんな国に成り果てるなど、思いもよりませんでした。しかし悪夢ではなく、事実として現前してしまったのです。
 しかし私は、「民主主義国家」として、再び日本が甦ることは出来る、絶対、出来ると信じます。正義は勝、必ずや、勝。戦後、80年を迎えようとする日本には、80年に及ぼうとする「民主主義国家」の経験値が蓄積されている。動じない、揺るがない信念が。