第一章 社会正義の回復
「不幸の連鎖社会」から「幸福の拡散社会」へ
 生まれてこのかた、物心がついてから今日まで、いつの時代にも耳目を震撼させるような出来事はありました。しかし今ほど次から次へと凶悪な事件が起きることは無かったのではないか。凄惨極まりない凶行が起きるたび、なにより先ず私は、犯人自身が不幸の極にあると想像するのです。そして犯人の不幸が、結果として、とてつもなく大きな不幸を新たに生み出してしまう。
 犯人の犯した凶行は、すべて犯人の自己責任に帰せられます。だからこそ、その責任を犯人自身が負わねばならない。しかし犯人が不幸に陥った責任は、すべて犯人の自己責任に帰せられるのだろうか。犯人が不幸に陥った原因に、社会は一切、無関係なのだろうか。
 日本の社会は、すべての日本人にとって、はたして今、暮らしやすい社会なのでしょうか。  誰にとっても大なり小なり、生きづらい社会ではないでしょうか。人の幸、不幸は、必ずしも白、黒ではありません。白と黒との間の、限りなく微妙な濃淡がある。その幸、不幸の程度の差こそあれ、誰も皆、幸と不幸の間を揺れ動いているのです。
 明日は我が身、とはよく言ったものです。凶悪犯は、もしかしたら私であったかもしれない。もし私が、凶悪犯のようなどん底の不幸に陥っていたら、はたして凶行を犯さずに済んだだろうか。犯罪の原因を社会に押し付ける気は毛頭ありませんが、社会に責任の一端はある、と私は思うのです。

「嘘八百社会」から「真実一路社会」へ
 直近の10年間で、日本の社会がここまで劣化したのは、嘘が大手を振ってまかり通ってしまったからではないか。私は、50年前に家業である呉服屋になりましたが、父亡きあと、母が店を守ってくれました。母は口癖のように、「お客さんに信用して貰えなかったら商売は出来へん。信用して貰えるようになるにはイッパイ時間がかかる。失うのはイッペンや。嘘をついたらオシマイ」。そのコトバを、私も何より大事にしてきました。
 信用第一は何も商売に限ったことではありません。世の中すべからく信用第一なのです。なぜなら商売に限らず、世の中のすべての人間関係は信用の二文字で成り立っているからです。「信なくば立たず」とは、そういう意味です。「信」という字をよく見ると、「人(ヒト)」の「言(コトバ)」と書いてある。人の発する言葉が信用の基(もとい)であるなら、嘘をついたら、その時点で人間関係は破綻するのです。
 社会は煎じ詰めると人間関係に帰着する。すべての人間関係は、人と人との間に信頼関係が成り立ってこそ成立するのですから、信頼関係が成り立たなければ、社会そのものが成り立たないのです。現下の日本は、誰咎(とが)めることなく「嘘八百」がまかり通って、社会が崩壊してしまった。であるなら日本再生は、「真実一路」、日本人が、それぞれの人生を馬鹿正直に歩むしかないのです。