第六話

 寒いから着るものが欲しい、お腹がへったから食べものが欲しい、雨が降るから住むところが欲しい、という具合で、人類は必要なものを求めて進化し続けてきました。

必要は発明の母
 お客様は欲しい「モノ」しか「買わない」。であるなら「売れる」ためには、お客様が何を欲しいと思っておられるのかを察しなければなりません。しかし不特定多数のお客様が何を欲しいと思っておられるのかを推し量ることは不可能とは言えないまでも至難です。どうすればよいのか。「明日は我が身」流に自分に振り返って考えることです。自分が欲しい「モノ」は何かを考えるのです。十人十色、蓼喰う蟲も好き好き、と言うぐらいで人それぞれに欲しい「モノ」は違う。他人が欲しい「モノ」を察するのは難しいけれど、自分が欲しい「モノ」はすぐ分かる。まあ余程無欲な方でなければ、アレ欲しいコレ欲しいは色々あるでしょう。私なんかは物欲の権化なので、自分でも呆れるぐらいアレ欲しいコレ欲しいがある。
 ところが欲しい「モノ」が必ずしも見つかるわけではありません。ついこの間までだったら商店街に行って、欲しい「モノ」を置いてそうな店をのぞいて、店の中をアレコレ探す。近場で見つからないと、新聞や雑誌、情報誌や専門誌を見て探す。ところが今や、インターネットで検索すると、出てくる出てくる。大概の「モノ」なら見つかるのです。ところが場合によっては此の世に存在しないことだってある。でも欲しい。どうしても欲しい。だったらどうすればよいのか。欲しい「モノ」を作るしかない、創り出すしかない。私はチョットしたインテリア、レコード棚とかテーブルとかを自作します。ピッタシサイズなんて探してもないからです。日曜大工のレヴェルなら私でも作れますが、素人ではとても作れない「モノ」がある。欲しいけれど見つからない「モノ」、とても自分では作れない「モノ」を、もしプロの誰かが自分の好みどおりに作ってくださって、商品として販売してくださるなら「買う」。私の商売人的予感で言うと、在る「モノ」は「売れない」、無い「モノ」が「売れる」時代なのです。「必要は商売のヒント」。