染 織 作 家
 私が呉服屋になって店に出るようになった当時、弊店の主力の取引先は染が「千總」「珍粋」、織が「加納」「矢代仁」、繍が「藤井藤」、帯が「川島」「紫紘」でした。 「千總」の本友禅の留袖、振袖、訪問着、型友禅の着尺、襦袢、「珍粋」の小紋、更紗、紅型の着尺、「加納」の結城紬、大島紬、「矢代仁」のお召、「藤井藤」の刺繍の訪問着、コート、絵羽織、「川島」「紫紘」の袋帯、名古屋帯、が主要な商品でした。 それぞれ歴史と信用を誇る問屋で、その商品も信頼のおけるものばかりでした。その頃、呉服業界では「作家物」と呼ばれる商品が人気になっていました。染織作家が作られた着物や帯に製作者の落款が入れられていて高額商品として取引されていました。 母と一緒に商品の仕入れをしていた叔父は「落款が入っているだけで高い値段がついている。値打ちが無い。」といって「作家物」にはまったく興味を示しませんでした。また弊店の取引先では「作家物」を扱っている問屋もあまりありませんでした。 私自身、販売企画として「作家物」を扱うことに抵抗もありましたしそういう店の堅実な姿勢を評価していました。
 12年前、思い立って2階を「ギャラリー響」と名付けて美術工芸の作家に個展を開いていただくスペースにしました。個人的にお付き合いのある作家に個展を開いていただくことで新しい風を店に吹き込んでいただきたいと考えたのです。 スペインの伝統工芸である木象嵌(タラセア)の作家星野尚さんを皮切りに陶芸家、漆芸家、と様々なジャンルの作家の個展を開催しました。 すると、当時取引先の「一文」の担当者だった多田英一さんが「伊砂新雄さんという型絵染の染色家の個展をお店でなさいませんか」と声をかけてくださったのです。 染織作家の作品をそれまで扱ったことがなかったので「残念ながら自信がないので、ご迷惑をおかけしても申し訳ないので」とお断りしたのですが「結果は全然気にしませんからお店の為に是非取り組んでください」と強くおっしゃってくださいました。 多田さんの熱心なお誘いで1991年の12月に伊砂新雄(いさよしお)さんに個展をしていただくことになったのです。 染織作家の個展は初めてでしたので伊砂さんがどういう作品をどのような技法でどんな思いでお作りなっておられるのか是非知っておきたいと多田さんに同行していただいて京都山科の工房をおたずねしました。 伊砂さんはとても温厚な方で丁寧に工房を案内してくださり説明をしてくださいました。染織作家、という私にとっては未知の世界がいかに深く広く熱いものか、を痛感する最初の体験になったのです。外に出ると日はとっくに暮れて真っ暗でした。あっという間に時間が過ぎていたのです。外の暗さとは正反対に私の心の中に明るい光が灯りました。
 伊砂さんから弊店での個展の話を聞かれた染織作家同士の横山喜八郎さんが弊店で個展を開きたいとおっしゃっておられると多田さんが伝えてきたのはわずか1ヶ月後のことでした。翌年2月に開いていただいた横山喜八郎さんの最初の個展が弊店のそれからの道を決定付けることになろうとはその時は夢にも考えませんでした。 以後、型絵染の林克彦さん、ローケツ染の長田けい子さん、藍染の芳賀信幸さん、小千谷縮の樋口隆司さん、みさやま紬の横山俊一郎さん、上田紬の小山憲市さん、挽粉染の白河英治さん、とご縁が繋がっていったのです。