藍 染
 1993年春、染織、陶芸、漆芸、木工、金工、など美術工芸の作品が一堂に展覧される日本現代工芸美術展を初めて京都市立美術館に見学に行きました。 その年の1月、後に「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の生みの親となる横山喜八郎さんとのご縁を頂き2月に最初の個展を開いていただいたのですが 日本現代工芸美術展の審査員でもある横山さんから展覧会のご案内をいただいたのです。会場に展示された作品は作者の熱い想いと究められた技が濃密に凝縮していて引きこまれるように ひとつひとつの作品に見入ってしまいました。 しかし作品に圧倒され次第に疲労を感じ始めたそのとき、ひとつの作品に吸い込まれるように視線が留まりました。 藍の限りなく微妙な濃淡、ただグラデーションだけで表現された静謐な世界はそれまでの過剰に濃厚な作品に食傷気味になっていた私に一陣の涼風でした。 「芳賀信幸」、作者の名前を胸に刻みいつかこの方に弊店で個展を開いて頂きたい、と心に秘めました。
 1年後、思いがかない芳賀信幸さんの個展を開いて頂くことになり京都市左京区広河原の工房を訪ねました。 市内中心部から車で1時間半、貴船、鞍馬、と通り過ぎつづら折の花背峠を越えてたどりついた広河原は ここも京都市内かとにわかには信じ難いほど人里離れたところで「夜光るのは星ときつねの目だけ」、 工房の前を流れる小川は鮮烈に澄み切っていました。 「この水で藍染めの生地を洗うのです」と、訥々と語ってくださる芳賀さんは詩を書きたい、 と大分から京都にこられ生活の足しにと始めた染色の道を歩むことになられたそうです。 藍に魅せられ徳島の藍師新居修氏に出会って灰汁発酵建を始め日展、現代工芸美術展などに作品を発表しておられます。
 阪神大震災の直後、安否確認のお電話を頂戴し救援物資を送ってくださったのですが荷物のなかに軍手や雑巾からカレーなどの食料品など色々入っていて芳賀さんの心配りに人柄を感じました。 前年に始めた「丸太やオリジナルコレクションコンサート」に藍染でハンカチやコースター、Tシャツやテーブルセンターを作って頂くことになりましたが とりわけ楽器を蝋で描いたハンカチ・Tシャツは大ヒット商品となり震災後の商売の再建にどれほど力になったことでしょう。 芳賀さんの藍染のお蔭で「丸太やオリジナルコレクションコンサート」は大きな飛躍を遂げることが出来たのです。
 あのとき私を捉えたのは「詩」ではなかったか、「詩」を書きたい、という夢を追い続け、今も「詩」を書き続けておられる芳賀さん、 日本現代工芸美術展の会場で私が見たのは芳賀信幸さんの「詩」だったのでしょう。 その「詩」は芳賀さんの藍染の作品すべてに書き込まれているのです。