コ ン サ ー ト
 大学でオーケストラに入りチェロを始めました。 卒業して呉服屋になりましたが市民オーケストラでチェロを弾き続けていました。 いっしょに室内楽を楽しむ音楽仲間もできて余暇はいつもチェロをかついで練習にでかけました。 呉服屋、という仕事にどこか後ろめたさがあって自分の存在理由を仕事の中に充分に見出せない分、音楽の中で完全燃焼していたのです。 「チェロとかけてなんと解く、アイウエオと解く、そのこころはカ行(家業)はその次」とうそぶいていました。 もっといい音楽がしたい、と22年前、結成直後の大阪シンフォニカーという後年プロに成長したオーケストラに入団しそこで家内と出会い結婚しました。 音楽で結ばれた二人、家内は中学校の音楽教師の職を辞して呉服屋になりましたがかつての音楽仲間を交えて室内楽を続けていました。 その頃、元町商店街を歩いていて5丁目に「アマデウス」というお店をみつけたのです。 きっとオーナーはモーツァルトがお好きなのだろうと店内に入るとやっぱりクラシック喫茶で「モーツァルトを演奏されたお客様にはケーキセットをサービス」と張り紙がしてありました。 カルテット仲間を誘ってサロンコンサートに一年に一度出演するようになりました。
 1992年の9月も「アマデウス」に出演することになっていたのですがよんどころ無い事情が起きてキャンセル、 せっかく本番に向けて練習を重ねていたのに残念で、ちょうどその頃店の2階を「ギャラリー響」として美術・工芸の発表の場に提供していましたので、 だったらそこでコンサートを開こうと考えたのです。 しかしそれまで私がチェロを趣味で弾いていることは取引先にもお客様にも内緒にしていました。 「仕事一筋」が高く評価される風土の中で趣味に興じることは「道楽者」として信用されないのでは、と危惧していたのです。 「ふれあいコンサート」という案内には出演者名を「キャメルストリングカルテット」とだけ記入したのですが名前の由来はメンバーがそれぞれ3〜9才の子供がいて 練習にはいつも子供が一緒<コブつき→らくだ→キャメル>、メンバーの名前は書きませんでした。 コンサートは弊店のお客様もたくさんお越しくださって満員で終演後「丸太やさんが演奏されるなんてビックリしました。 とても楽しかったので是非またコンサートを開いてください」とおっしゃっていただきました。 そうか、私自身を隠しだてなくお見せすることをお客様は認めてくださるのだ、とほっとしました。
 1994年2月、横山喜八郎先生との出会いから念願の音楽をモチーフにした帯やきもの「丸太やオリジナルコレクションコンサート」が誕生、 その発表会に「きもので集うワインコンサート」を開きました。 私と家内が音楽が好きで、きものが大好きだからこそ生まれた「丸太やオリジナルコレクションコンサート」、そのきものの発表に私達の音楽を聴いていただくことが何より私達の「思い」をお伝えできるのではないか、と考えたのです。 キャメルストリングカルテットのメンバーに共演していただき思い出のモーツァルトをきもの姿のお客様に楽しんでいただきました。 その年の12月、再びコンサートを開いて「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の新作展を開催したのですが、そのわずか一ヵ月後に阪神大震災が神戸を襲うとは夢想だにしませんでした。 瓦礫の中から私達は「丸太やオリジナルコレクションコンサート」を携え、京都、大阪、名古屋、岡山、敦賀、茅ヶ崎、高山、大垣と各地に出向き、音楽仲間に共演していただいてコンサートを開いてきました。 震災の年の10月には店内で「MOTOMACHI MUSIC WEEK」と名づけたコンサートを開催、一週間毎日日替わりでコンサートを楽しんでいただきました。 あれから丸八年が過ぎ「丸太やフレンドリーコンサート」と名前を変えてこの4月、16回目を迎えます。