第九章  矜 持

 平成19年10月に、娘が結婚しました。母は、4人の子供に、11人の孫が生まれました。11人の孫のうち、うちの娘だけが、女の子でした。あとの10人は、みんな、男の子。たった一人の、女の子の孫でしたが、娘の結婚式に、母を参列させることは難しい、と判断しました。結婚式の当日、妹の主人が、「ここに、お母さんに出ていただけなかったのは残念ですね。久雄さん、是非、機会を設けて、お母さんを囲む会を、開きましょう」、と提案してくださいました。母の誕生日は、1月16日なので、年が明けた1月に、お母さんの誕生日会を、と計画したのですが、2月に入って、開くことが出来ました。
 お母さん、子供4人、その連れ合い4人、孫と孫の連れ合いが17人、ひ孫が9人、の合計35人、の内、29人が集まって、弊店向かいの、「ユーハイム本店」3階ホールで、食事会を開きました。「喜八食堂」のお弁当を取り寄せ、食後に、「ユーハイム」のお茶とケーキ。母は、美味しそうに、お弁当も、ケーキも、ジュースも、自分で頂きました。「須磨ばーちゃん、元気やね。良かった。」と、みんな、大喜びでした。すでに、その時の母は、ほとんど、記憶という記憶を、失っていました。ところが、店に入った途端、「まるたや」、とつぶやいたのです。「今、お母さん、『丸太や』、って言うたよね」、と姉がビックリしました。帰り、元町駅の前を通ると、窓越しに見て、「もとまち」、とつぶやいたのです。娘の名前も、息子の名前も、すでに、忘れているのに、「まるたや」、と、「もとまち」、は忘れていない。忘れられないのでしょう。「元町の 丸太や」、こそ、母が、生涯を賭けて、守り抜いた、何よりの宝だった、誇りだった。きっと、そうだった。


93歳の誕生日記念