第七章  病 気

 母の自慢は、「病気をしたことが無い」、でした。病院に縁が無いことを、何より、自慢にしていました。平成16年1月14日のことです。夕飯の時間になって、家内が、「お母さんが、腰が痛いから、食事はいらない、と言ってる」、と言うので、母の枕元で、「お母さん、どうしたん。しんどいんか。」と聞くと、「腰が痛いだけや。たいしたことあらへん。」と言うので、親子4人で食事を済ませました。翌、15日は、水曜日で定休日だったので、家に居ました。朝、母は、起き上がってこないので、「お母さん、どう」、と聞くと、「どうゆうことない」、と答えて、やはり起き上がりません。
 昨晩、今朝、と食事を取らないので、昼は食べないと、と母を起こして、食べさせようとしたのですが、腰が痛い、腰が痛い、と辛そうに言うので、これは普通じゃない、病院に連れて行かなければ、と、「お母さん、松田先生に診てもらおう。」と、母が信頼している松田先生の話をすると、「行こか」、と言ってくれました。病院で、診察していただくと、松田先生が、「すぐ、入院させましょう。お母さんは、心筋梗塞の発作を起こされたようです。24時間以内に、もう一度、発作を起こすと、命に係わります」、とおっしゃるのです。仰天しました。勿論、89歳という高齢です。いつ、命に係わる事態が起きても、おかしくない年齢です。しかし、つい昨日までは、何とも無かったのに。
 頭の中を、グルグル、色んな考えが浮かびました。ハタト、その時、気付いたのです。父が亡くなって、今日、ここまで、一度も、父が居ない、ということを感じたことが無かったことを。もし、父が生きていてくれたら、と感じたことが無かったことを。母は、母であって、父でも有ったのだ。「父親の無い子だ、と思わせたくなかった」、と母は、しばしば、言っていました。まさに、私自身、父親の無い子だ、と思ったことが一度も無かった。そのことに、気付いたのです。私は、その時、この母の子で良かった。この母を、母に持つことが出来たことは、幸せだった。私の、何よりの誇りだ。私の頬を、涙が伝いました。
 おそらく、母にとって、生まれて初めての入院。入院して、母の中で、何かが、切れたのか、萎えたのか、それまでの気丈さが失われました。しかし、商売の話を聞かせると、眼を輝かせました。「今日はね、誰々さんが来てくださって、袋帯を買ってくださったよ」、というような話には。3月に開催する大島紬展のために、産地の鹿児島に行く予定をしていたので、「お母さん、鹿児島にね、大島紬を見に行ってくるからね」、と伝えると、「しっかり、見ておいでよ」。商売の報告が、何よりの励ましでした。
 北区箕谷の「松田病院」に入院中、松田たかのり院長をはじめ、医師、看護婦、の皆さんの懇切、丁寧な、治療と看護で、母は大病を克服し、3月18日、無事、退院することが出来ました。丁度、退院の日の、神戸新聞の朝刊に、息子の、三木弦(ゆづる)が、家業の呉服屋を継ぐ決意をした、と紹介する記事が出ました。松田病院の看護婦長さんが、その記事を目に留めてくださって、記事を切り抜いて、額に入れてくださって、「お母様の、退院記念です」、とプレゼントしてくださいました。


神戸新聞記事
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