第六章  震 災

 家内が、「丸太や」に入り、私達夫婦と、社員の谷口澄治さん夫婦と、そして母の5人で、順調とまでは言えないものの、比較的、堅調に商売を続けてきました。昭和から平成に時は移り、平成7年1月16日、母は、79歳の誕生日を迎えました。小学5年生の娘と、小学1年生の息子が、「おばあちゃん、お誕生日、オメデトウ。お祝いに、踊ります」、と二人で、ピョンピョン飛び跳ねました。母も、ご満悦で、ひとしきり、家族みんなで団欒を愉しんで、「お休み」、と寝床に入りました。
 翌、1月17日午前6時51分、阪神・淡路大震災。ドッドッドッドッ、と地鳴りの直後、天地がひっくり返るかのような、揺れ。瓦という瓦が落ちる大音響。2階で一緒に寝ていた、家内と子供は無事だった。1階で寝ている母は、と階下に飛んでおりました。「お母さん、大丈夫」。母は、一瞬、キョトンとして、「どうしたんや」。「地震や、地震が起きたんや。大丈夫か。」「ナンカ、足元が重いけど」。見ると、鏡台の大きな鏡が足元に倒れ掛かっていました。すぐに、母を2階に連れて上がりました。
 「眼が覚めたら、息子が、『お母さん、大丈夫か』、言うて、声を掛けてくれて。眠っていたので、地震の事、全然知らなかったです」、と安否を尋ねてくださる方に、そう答えていました。「奥さん、良かったね。怖い目、せずに済んで」、とお客様がおっしゃってくださいました。しかし、屋根瓦の大半が落下して、翌年の秋に、瓦の葺き替えをするまで、雨が降るたびに雨漏りがきつくて、母に、つらい思いをさせてしまいました。
 震災後、私にとっては、何より、商売の復興でした。震災の直前に始めた、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」、という音楽をモチーフにしたオリジナル商品の販売が、復興の決め手でした。「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の発表、販売会を、全国各地に出向いて開催しました。数日、泊り掛け、ということも多かったのですが、夫婦で自宅を空ける間、まだ小学生だった二人の子供は、母が世話してくれました。母が、子供たちを見てくれるから、安心して商売に専念できました。
 母は、49年前、父を亡くし、お葬式の翌日から、店に立って商売に励みました。以来、ずっと、店に立ち続けてきました。しかし、震災の直後、自宅と店との間の、すべての交通手段が不通になりました。しかし、電車が復旧し、開通すると、以前の通り、一人、電車に乗って店に通いました。さすがに、歳を重ねて、膝の関節炎が悪化し、歩行が困難になってからは、土曜日、日曜日だけ、私の車に同乗して、店に来ていました。「奥さんは、お店の看板娘さんやから、お店に居てくださるとうれしいは」、と馴染みのお客様に、声を掛けていただくと、とても喜んでいました。


自宅の玄関前で

「丸太やオリジナルコレクションコンサート」発表会場