![]() ![]() 奈良時代、日本の歴史が「古事記」に編纂されたのと同じく、日本の地理が「風土記」に編纂されました。 |
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![]() 「風土記」には「天皇」が全国各地を巡幸して「国見」と呼ばれる国情視察をされる記述がしばしば見られます。その場合、必ず「天皇」は「あめのした しろしめしし すめらみこと」と書かれています。その意味するところは「天の下 知ろし召しし 天皇」でしょう。「万葉集」で柿本人麻呂が「おおきみは神にしあれば」と詠んだように、奈良時代、「天皇」とは、天上の神が天下に降り下り、現人神(あらひとがみ)として地上の統治者となられたと考えられていました。「天皇」を「すめらみこと」と読むのは、「天皇」が日本国の統治者であることを言い表すために、統治することを意味する「統べる(すべる)」を「みこと」に付与したのです。「みこと」とは「神子(みこ)」を意味し、また「命(みこと)」として命令を下す、「詔(みことのり)」を発する最高権力者であることを象徴しています。 「天皇」が「天下」を「知ろし召す」とは、統治者として日本の「歴史」と「風土」を「知る」ことが極めて重要であることを意味しています。天智天皇、天武天皇によって律令制の国家体制が成立し、その後、大和朝廷の強大な権力をもって日本国中を完全掌握し、律令制の国家体制を確立した奈良時代初期にあって、日本の「歴史」を記述した「古事記」と、「風土」を記述した「風土記」が編纂されたことは、日本国家の統治が完遂されたことの闡明にほかならないのです。 |
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