呉 服 屋 修 行
 「呉服屋を継いでほしい」と母に言われた記憶はありません。大学に進学が決まって、叔父に報告すると「東京で四年間遊んできたら神戸に帰ってくるんやで」と言われ「丸太やはあんたのお父さんのときから店の人のことを何より大事にしてきた」と聞かされたとき、自分は店を継ぐ立場にあるのだ、と強く自覚しました。叔父は呉服屋修業の取っ掛かりにと考えたのでしょう、冬休み、春休みに神戸に帰ってくるたびに月初め京都の問屋さんで開かれる新作展示会に私を連れていってくれました。色鮮やかな着物や帯が所狭しと展示された会場は華やかで活気に満ちて学生生活とは別世界でした。「門前の小僧」ということばどおり大学を卒業すると同時にこの世界に入ったのです。
 縁あって私と結婚した家内は中学校の音楽教師の職を辞し、思いがけずも呉服屋になりました。私自身の経験で呉服の勉強には問屋さんの新作展示会で多種多様な商品、着物や帯を見ることが一番、と考えていましたので叔父に連れていってもらったように毎月、月初め家内を連れて京都の問屋さんを回りました。最初の頃は見るものすべてが新鮮で驚きだったでしょう、しかし次第に私だったらどの着物にどの帯を合わせて着てみようかしら、と自分自身のおしゃれ心を鏡に映して見るようになりました。特にお気に入りは紬問屋「加納」さんの会場です。あるとき「この紬、どう。買ってもいい?」と私の眼を射すように見つめて言いました。それは草木染め独特の柔らかで深い色合いの織物でした。その織物「みさやま紬」は私も以前より眼を留めていましたので家内の気持ちはよく分かりました。
 当時「加納」の担当者は新入社員でしたので家内とは新人同士、一緒に呉服を勉強する気持ちでお付き合いさせていただいていましたので購入した「みさやま紬」も一緒に裁ち合わせをしていました。生まれて初めて自分で選んで買った着物、「みさやま紬」は家内にとって呉服屋修業の第一歩になったのです。