利 は 元 に 有 り
 30年前、呉服屋になって店に出るようになる直前、第一次オイルショックでトイレットペーパー騒動が起き、あらゆる商品が買占めで日本中の店頭から消えました。呉服も黒の染料が無くなるという噂で喪服が無くなったり、表地、裏地と奪い合うように売れたそうです。その名残でその年の9月に国際会館の小ホールで開いた「丸太や 秋のきもの展示会」は高額の着物や帯がたくさん売れました。呉服屋という商売は華やかで綺麗で結構な仕事だと喜んだのですが私がそう思ったことを見抜いた叔父に「こんな商売や、と思ったら大間違いや」と諭されました。叔父の言葉どおり買占め騒動の反動で世の中すぐに不景気になり数年後に店は水面下に沈んでしまいました。来店のお客様が少なくなって店番をしていた母が「今日も一日誰とも話をしなかった」とさみしそうにぼやいていたことが忘れられません。売上不振から問屋への支払いが滞りがちになり取引を控える問屋もありました。そんな状態を見かねて取引商社「菱一」の担当者山田実さんが「折角人通りの多い一等地に店を構えておられるのやから店頭で販売できる商品を扱われたら」と提案してくださいました。それまで高級京呉服一筋で歩んできましたので叔父は「店先がゴチャゴチャするから」と店頭で小物雑貨を置くことに同意しませんでした。あるとき店の会計顧問の先生の奥様が「丸太やさんは敷居が高くて入りづらいから気軽に買えるものを置かれたら」とおしゃってくださいました。店にもどって叔父に伝えると「置いてみよか」と決心してくれました。
 山田さんにお世話になることになりご相談すると「一番大事なことは自分の目で商品を選ぶことです。東京のメーカーに一緒についていってあげますから久雄さん自身で品選びをして仕入れてください。勿論失敗もあるでしょうがしばらくは私が責任をもってお世話します」と1982年の2月、東京都中央区堀留のメーカー「古渡(こわたり)」に案内してくださいました。初めてのことなので所狭しとハンガーにかけられたワンピース、ブラウス、シャツ、山積みされた小銭入れや手帳、バッグ、何が良くて売れ筋なのか見当もつきません。山田さんは「このテーブルセンターどうですか、ワンピースも」と「テーブルセンターは20枚、ワンピースはこの柄とこの柄と」と係りの人に注文してくださいます。分けもわからずに終わった初仕入れ、しかし私にとっては行き帰り新幹線の車内で山田さんに聞かせていただいた商売の極意が何よりの土産になりました。「利は元にあり、商売で一番肝心なことは仕入れです。良い商品を自分の足で探し、自分の目で選び、きちっと支払いをする。そうして仕入れた良い商品は必ずお客様の目に留まってお買い上げいただけます。」
 山田さんに薦められるままに仕入れた商品が入荷し店頭に並べると驚くほど、まさに飛ぶように売れたのです。とりわけ胸にパッチワークをした2500円の紺地のエプロン、その売れ方は呉服屋になって初めての経験でした、通りがかりの方が次から次に手にとって「これください」と買っていかれるのです。「呉服屋という商売に<売れる>という言葉はない、<売る>という言葉しか」といわれて成る程その通りと思っていました。しかしエプロンが<売れる>のを見て私は呉服屋という商売でも<売れる>ことを確信しました。<売る>のではなく<売れる>、<買わせる>のではなく<買っていただく>ために何が必要か、大切か、「利は元にあり」、お客様に喜んでいただける良い商品を自分の足で探し、自分の目で選び、提供する、そのことにつきる、と知りました。山田さんはそれからも丁寧に手をとるように教えてくださいました、商品の仕入れと在庫の管理の仕方、一つ何ぼの着物の世界から何十で何ぼの小物の世界、一ヶ月ごとにそれぞれの商品を何個仕入れて何個売れて何個残っているかを一覧表にし、どの商品が売れ筋か、在庫量は適切かをチェックしました。意外に売れているもの、そうでないものが良く分かりました。私の「呉服屋事始」はあのエプロンから、山田実さんは私にとってかけがえのない「商の師」なのです。