振 袖
 「十年一昔」というぐらいですから呉服屋を三十年続けると商売の有様も随分変わ りました。振袖ひとつをとってもある頃を境に大きく変化しました。振袖の場合おお かた振袖、袋帯、襦袢、小物一式をそろえておこしらえになることが多いのですがそ の分お買い上げの代金も高価になりがちです。ある時期、ナショナルチェーン(NC) という全国に販売店を展開する呉服屋が生まれ神戸にも何社かの支店が進出しまし た。そのほとんどが商品の中心が振袖で、かつ振袖、袋帯、襦袢、小物一式、仕立て 上がりでセット価格何十万円、支払いはローンで分割、という販売方法でした。弊店 ではお客様からご注文を頂いて振袖を販売していたのですが急激に振袖のご注文がな くなったのです。それは弊店だけの現象ではなく弊店のような従来からの呉服専門店 でも同じような状況になりました。原因はナショナルチェーン店やカタログ販売とい う新規の振袖販売にとってかわられた、ということでした。確かに振袖の購入を検討 されておられるかたがまずお考えになられるのは一体全部で予算はどれぐらいかかる のか、ということです。核家族や、転勤の多いご家庭では出入りの呉服屋さんがおら れなくて呉服屋には敷居が高くて入りづらい場合、一見して費用が予測でき、品揃え も豊富なナショナルチェーン店やカタログ販売がお客様の需要に合っていたことは間 違いありません。
 振袖の購入を検討されているご家庭は往々にして呉服の購入は初めて、という場合 が多いですので総額幾らになるのかを明示することはとても大事なことです。しかし 弊店では長らく振袖は「千總」、袋帯は「川島織物」をお勧めしてきましたので通常 でいくと振袖、袋帯、襦袢の三点仕立て上がりで百万円近い金額になってしまいま す。ナショナルチェーン店がセット価格三十万円というような価格で販売されておら れる中ではとてもその価格で太刀打ちできるわけがありません。あるとき千總の増田 さんが「九月に弊社で振袖の謝恩新作展をいたします。弊社が全力をあげて取り組ん だ企画で大変お値打ちな商品ですから是非ご覧ください。」とご案内をいただきまし た。確かに増田さんの言葉どおりさすが千總、これだけの振袖がこの価格に収まった か、という出来栄えでした。早速、数点発注しました。振袖がこの価格なら袋帯の価 格しだいでは振袖と袋帯、襦袢の三点仕立て上がりで五十万円に出来ないか、川島織 物に相談すると通常では無理ですが、弊社の決算のときでしたら、というご返事でし た。十月の決算市であらかじめ仕入れた振袖にあわせて袋帯を選択し弊店の利益を抑 えて何とか五十万円の価格を実現しました。以来、現在に至るまで毎年何組かのお客 様にご購入いただいています
 着物をお買い求めいただくことは、それがどのような着物であれありがたいことで すが、振袖はやはり特別なものがあります。それは振袖が女性にとって特別なもの、 だからでしょう。女性の一生のなかで一番晴れやかで華やかな着物。子供から大人に 巣立っていく旅立ちの着物。その一瞬のきらめきをお父様、お母様、おじい様、おば あ様、家族みんなが見守り、見届ける。振袖のなかに家族みんなの想いがあふれてい るのです。その幸せの瞬間に立ち合わせていただくことの幸せ、これほど呉服屋冥利 につきることはありません。