恩 人
 今、自分が立っている場所にどういう道筋でたどりついたかを振り返ったとき、幾人かの人の顔が浮かんできます。そうだ、あの方との出会いがあってこの道を歩んだのだ、という。増田文明さんも私にとってかけがえのない道標、みちしるべ、でした。増田文明さんは三年前、退社されるまで「千總」に勤めておられましたが、その直前まで二十数年間、弊店を担当してくださいました。私が二十六才ぐらいの時だったでしょうか、新任の挨拶にこられた増田さんは少し武骨な、しかし実直そのものという印象でした。
 当時、弊店は呉服販売の不振に陥り次第に問屋への支払いもとどこおりがちになっていました。その頃、私は家内と知り合い結婚することになり昭和五十七年の一月三日に結納をとりかわしました。その数日後新年の挨拶に「千總」を訪ね増田さんに結婚することになった、とお伝えすると「おめでとうございます。いよいよ丸太やさんも久雄さんの時代ですね。ですからあえて申し上げますが、現在御店と弊社との取引状態は残念ながら正常ではありません。今はまだ常務が『丸太やさんの面倒はしっかり見てあげなさい』と言ってくださってますが、このままではお取引を続けることは難しいのです。五年の間に残高をここまで減らしていただきたい、そのために私は誠心誠意協力いたします。お店のためですからがんばってください。」それまで叔父が店の計理経営を主にしていましたので私の置かれた立場の厳しさをその時初めて知りましたし、増田さんが提示された返済計画はとても実行できそうに思えませんでした。
 その二年後、店の大黒柱だった叔父が急死し、いよいよ私が経営責任者として丸太やを支えていかねばならなくなりました。増田さんはあの時の言葉どおり弊店への商品提供を熱心に続けてくださいました。そのかいあって五年後にはほぼ約束どおり残高を減らすことができたのです。その後も一生懸命応援してくださって「丸太や創業八十八周年記念展」「三木久雄社長就任披露の会」「三木キクエこの道六十年の会」の開催に際して取引商社の先頭に立って支援し、その成果をわが事のように喜んでくださいました。歴史に「もしも」という仮定は余り意味が無いかもしれませんが、もし増田さんが弊店の担当でなかったらあの経営危機を乗り切れただろうか、どん底から這い上がってあらたな呉服屋のあり方を見つけることが出来ただろうか、その答えは「否」。増田さんは丸太やにとって、まさに大恩ある人、なのです。
 増田さんが商売人として未熟な私に身を持って教えてくださったのは商売上もっとも大事なことは良好な取引関係を維持発展すること、その基礎に人間同士の誠実な信頼関係を築くこと、です。三年前「千總」を退社された増田さんは、それまで蓄積された経験と人脈で「三條」という会社を起こされ呉服仲介業をなさっておられます。今も昔と変わらず「久雄さん、商売どうですか」と顔をだしてくださることが、私にとってなにより元気の素なのです。