呉 服 屋 三 十 年
 昭和四十八年五月、「丸太や」に入店して呉服屋になりました。来年、三十年を迎えます。 振り返ると呉服屋三十年は長いようでもあり短いようでもありますが三十年間呉服屋を続けることができましたのはお客様のご愛顧の賜物とあらためて深く御礼申し上げます。
 学校を出て家業である呉服屋になることに何の迷いもためらいもありませんでした。年中着物で歌舞伎役者のようだった父、父が亡くなったあと母と叔父が店を守ってくれました。 その跡を継ぐことに疑問の余地はなかったのです。 学生の頃、奈良や京都の古寺を訪れることが好きで日本の建築や工芸の美しさに魅せられていた私は日本の伝統美を受け継ぐ「きもの」を仕事とすることに夢をもっていましたし「元町」に店を構えることへの誇りもありました。
 ところが呉服屋になってみて次第に呉服屋であることに胸を張れなくなったのです。 当時すでに「きもの」は日常着ではありませんでした。 まだわずかに普段から「きもの」をお召のお客様もおられましたが「タンスのコヤシ」という言葉どおり買っても着ない「きもの」をタンスの中にしまっておかれるお客様がほとんどでした。 「きもの」は「着物」と書くぐらい本来着る物であるはずなのに着ない着物をお売りする、 必要でないものを売るという仕事自体必要ないのではないか。 その頃強引な、不当な呉服販売が問題になっていました。 自分が呉服屋であることが後ろめたく他人に知られたくない仕事とまで思っていました。
 「きもの」の販売が段々難しくなりお客様の足もおのずと店から遠のいていった頃、 ある問屋さんが「折角人通りの多い場所に店があるのやから気軽に買ってもらえる小物を置いたらどうですか」とすすめてくださいました。 それまで高級京呉服専門店を自負しておりましたので呉服以外の商品を店頭に並べることに抵抗がありましたが思い切って置いてみると驚くほど売れるのです。 何が一番の驚きであったかというとお客様が「これください」とおすすめもしないのに買ってくださることでした。 それまでお客様に手間隙掛けておすすめして買っていただくことが商売だと思っていましたがお客様ご自身が商品の価値を認め喜んで買ってくださる、それが本当の商売だと気がつきました。 「きもの」もきっとこんなふうにお客様の心を捉えて離さない商品があるはずだと予感しました。
 丁度その頃家内と出会い結婚しました。 家内はごく普通のサラリーマンの家庭に育ち音楽学校を出て中学校の先生をしていました。 呉服屋を手伝うようになると「きもの」の魅力に惹かれていきました。 「きものなんて誰が着るの、と言ってたのに、その私がきものをすすめるようになった」とある時言いました。 それ程「きもの」は素敵だ、ということを言いたかったのでしょう。 平均的日本女性である家内が「きもの」ファンになったことは私に大きな勇気を与えてくれました。 家内がどんな「きもの」をどんなふうに着たいか、という個人的な願望はお客様の「きもの」への一般的な期待でもあることに思い当たりました。 それは後年「丸太やオリジナルコレクションコンサート」として実を結ぶことになったのです。

 ほぼ同じ時期に古代染織研究家の名和野要さんと出会ったことが私の呉服屋人生に大きな転機をもたらしました。 それまで問屋から商品を仕入れて販売することしかしていなかったのですが名和野さんにはじめて「きもの」の製作現場を見せていただいたのです。 草木染工房にはじまり手描友禅、型友禅、刺繍、浜縮緬、など次々に案内していただきました。 それから紬問屋の「加納」さんに奄美の大島紬、結城の結城紬、松本のみさやま紬、沖縄の芭蕉布を紹介していただきました。そのほか伊勢型紙の白子、紅花紬の米沢、小千谷縮の小千谷、上田紬の上田、西陣織の西陣、と各地を訪れたのですが ものづくりの現場で伝統の技と知恵を目の当たりにしたことは私にとって呉服屋は何を仕事としてなさねばならないかを自覚する貴重な経験になりました。 呉服屋が日々商材として扱っている「きもの」が単に商品というモノではなく、その背後に伝統という長い時間、職人という究められた技術、そして何より良い「きもの」を作りたい、という作者の熱意があることを知りました。 それは呉服屋という仕事がモノを売るだけの商売ではなく、日本の伝統文化を継承し啓蒙する大きな役割を担っていることの自覚でした。 「きもの」の素晴らしさ、そこにこめられた作り手の熱い想い、それをお客様に正しく伝えることはどれほど大切な仕事であるか、ようやく「私は呉服屋です」と胸を張れるようになりました。

  この三十年の間に弊店を取り巻く状況は大きく変化しました。 高度成長が終わり、その最後のあだ花とでもいうべきバブルが崩壊したあと、 さらに阪神大震災が地元経済を直撃し小売業に携わるものにとり厳しい時代が続いています。 とりわけキモノ離れと言われて久しい呉服業界、弊店の経営が順調であろうはずはありません。 しかし、三十年を振り返って今ほどお客様が楽しんで「きもの」を着てくださる、 そのために「きもの」をお求めくださることはありません。 それは強がりでも、ウソ出鱈目でもありません。 間違いなく弊店では今ほど「きもの」ファンがたくさんおられたことはかつてなかったのです。 その理由は、弊店が地道に「きもの」の良さをお伝えしてきたこと、そして「きもの」の魅力がお客様の心をつかんだことの結果だと思います。 三十年かけて積み上げてきた呉服屋の仕事、その土台をさらにしっかりと築きなおして「きもの」の明日に向かって新たな一歩を踏み出そうと思います。 三十年の節目の年が私にとりまして、またお客様にとりましても意義深い年となりますよう一年をかけて取り組みます。