きもの四方山話

第五話  きものの呼び方

 貴方は「きもの」を、どう呼んでおられますか。「着物」?「和服」?「呉服」?。おそらく、「着物」ではないでしょうか。「着物」とは読んで字の如く「着る物」です。「着る物」としての「着物」は有史以来、日本人が着用していた衣服です。しかし江戸末期、長きにわたる鎖国を解いて欧米諸国に開国した明治の日本に、欧米人の衣服が流入し、日本人が着用するようになると、古来の衣服と、新来の衣服を区別する必要が生じ、日本古来の衣服を「和服」、欧米から流入した新来の衣服を「洋服」、と呼び分けるようになりました。
 ところが「丸太や」のように「和服」を販売する商売を「呉服屋」と呼び、商材を「呉服」と呼ぶのはなぜでしょう。「呉服」という言葉の由来は雄略天皇の時代に遡ります。当時、中国は、「魏呉蜀」の三国時代で、雄略天皇は、揚子江下流の「呉」の国に使者を送り、「呉服」を招いたことが「日本書紀」に記されています。「呉服」、とは、「くれはとり」と呼ばれていた絹織物を作る人々のことです。「呉服」が、「くれはとり」と呼ばれていたのは、「呉」という国を、日本人は、「くれ」と呼んでいたからです。それは、地理上、日本から見ると、「呉」の国は、海を隔てた西の方向、すなわち、太陽が沈む、「日が暮れる」位置に在るからです。つまり、「呉(くれ)」の国から渡来した「機織(はたおり)」という意味で、絹織物を作る人々を「くれはたおり」と呼んでいたのが、なまって「くれはとり」になったのです。その後、「呉服(くれはとり)」が作る絹織物それ自体が、「呉服(くれはとり)」と呼ばれるようになり、次第に、「くれはとり」では呼びにくいので、「ごふく」と呼ばれるようになりました。
 私は、ある時、どうして「着物」を、「呉服」と呼ぶのですか、と訊ねられて即座に答えることが出来ませんでした。呉服屋であるにもかかわらず、なぜ、「着物」を、「呉服」と呼ぶのか、知らなかったのです。早速、資料を探して調べました。成る程、ナルホド、と腑に落ちました。すると、呉服屋として、普段、何気なく使っている言葉、呉服に関する用語で、なぜ、そんな風に呼ぶのだろう、と考えたら、知らないことだらけであることに気付きました。知ってるつもりで、実は、知らない。本当のところを、知らない。呉服屋として、やはり、呉服に関する言葉の意味由来を知っておかねばならないのではないか、と考えました。「名は体を表す」。本来、名称は、商品と分かちがたくある。名称の意味由来が分らないことは、商品の意味由来を知らないことでもある。取り扱い商品を熟知しないで販売する、というのは呉服屋として不適格ではないかと反省しました。以来、「きもの」に係わる「コトバ」について調べたことを、「丸太やホームページ」の中の、「きものコトバ ハ・テ・ナ」という項目に、順次、書き記してきました。
 「きもの」に用いられる「コトバ」には、「きもの」でしか用いられない「コトバ」が沢山あります。普段の生活の中で用いられることのない「きものコトバ」は、普段、余り「きもの」に縁の無い生活を送られている方は、勿論、「きもの」に関心や興味をお持ちの方、さらに、「きもの」を愛好される方にとっても、まるで外国の「コトバ」のように、意味が分からないことも多々あるでしょう。あるいは、「きものコトバ」の意味するところは理解できても、なぜ、そういう風に用いられるのかについては理解されていない場合が多々あることでしょう。しかし、なぜ、「きもの」が、「着物」と呼ばれ、「和服」と呼ばれ、「呉服」と呼ばれるのかを知ることは、「きもの」について、知る以前より、愛着を持つことにつながります。「名」を知ることは、愛することの始まりなのです。