きもの四方山話

第四話  衣服の表現

 地球上の、ありとあらゆる生物、息とし生きるすべての生物にとって、生命の保持が、その名の通り、最大の使命です。すべての生物にとって、生命を保持するための、生活物資、生活空間の確保は最重要課題なのです。人間という生物にとっても、生活物資、生活空間の確保は至上命題です。食料、衣服、などの生活物資、住居、などの生活空間、すなわち、衣・食・住は、人間の生命維持のために絶対不可欠でした。しかし、人間が、他のあらゆる生物と異なるのは、衣・食・住に代表される生活物資、生活空間を、自らの手で生産したことでした。人間は、生活物資、生活空間を生産することによって、偶然という神の手から、人間の手で、自らの運命を切り開くことが出来たのです。
 しかし、すべての生物の生命は、個体としては永続不可能です。必ず死滅する。だからこそ、種族としての生命の永続を、不滅を、生物の本能として希求した。種族としての生命の永続、とは、「種の保存」です。「種の保存」のために、すべての生物は、雌雄の間で生殖行為を採る。そのために雌雄の区別が必要となります。そのことに於いても、ただ、人間だけが、神の手から、雌雄の性差を、自らの手で、衣服によって表現できたのです。アダムとイブが、イチジクの葉を身に付けたことで、楽園を追放されたという神話は象徴的です。イチジクの葉を身に付ける、という行為は、「衣服を身に纏う」ことの始まりであり、それは、とりもなおさず、男女の性差の表現の始まりであったのです。人間以外のすべての生物は自らの意思で、雌雄の性差を表現することは出来ません。神の手に委ねられていた雌雄の性差を、人間だけが「衣服を身に纏う」ことで表現することが出来たのです。
 古今東西、男女の性差を表現するために、衣服は華麗な展開、多大な発展を遂げました。それは、衣服が、唯に、男女の性差の表現に止まらず、男性として、女性として、同姓に対する優位を表現するためでもあったからです。「種の保存」を保障するためには、「種の優位」を確保する必要があるからです。優勝劣敗は、「種の保存」という生存競争において、冷酷無比な法則であるからです。そのためには、より強い、より美しい、配偶者を得ることが不可欠です。自らを、衣服によって、より強く、より美しく、表現しなければならなかったのです。
 人類が、「衣服を身に纏う」ことを発見したのは、生存のために、より柔軟に、多様に、環境に適応するためでありました。地理、気候、という外的環境の変化に対応するために、適応するために、「衣服を身に纏う」ことを発見した。そして、人間社会の発展に伴って、階層差、性差の表現として、衣服もまた発展を遂げました。しかし、人間社会が、紆余曲折を経ながらも、一進一退を繰り返しながらも、共存共栄の、より高度な社会形態にに成熟していく中で、階層差、性差、もまた、過去の歴史上、かつて無い新たな段階を迎えました。上層、中層、下層、の階層差の解消、男性、女性、の性差の縮小、が徐々に実現しつつあるのです。階層差、性差の表現として発展した衣服が、あらたな時代の要請として、あらたな表現をもとめられているのです。私は、共生の、共感の表現である、と予感します。