きもの四方山話

第三話  衣服の役割

 「衣服を身に纏う」ことを発見した時、人類は、動物から人間に飛躍した。少なくとも、その大きな一因ではあったでしょう。「衣服を身に纏う」ことを発見した人類は、人間に飛躍し、その集団は人間社会を形成しました。人間社会が、他の動物社会と大きく異なるのは、余剰生産物を蓄積できたことではないか。人間以外の生物も、生存に必要な生産物は保有しているでしょう。もし、生存に必要な生産物が確保できなければ、その生物は死滅する、その種は絶滅する。適者生存の冷厳な法則が、すべての生物に該当する。
 しかし、人間は、生存を保障する以上の生産物を保有し、蓄積できるようになりました。余剰生産物の蓄積、すなわち、富が生まれた。と同時に、富の偏在が生じた。富の偏在を、階級とも、身分とも、言いえるでしょうが、すべての人間は平等ではなくなった。人間社会は、大きく、支配するものと、支配されるものとに、二分されました。衣服が発明された時、「衣服を身に纏う」ことは、外的環境に対応するためでした。実用として、衣服はあった。しかし、人間社会が形成され、階級や身分が分化し、支配、被支配の関係が生じた時、衣服は、実用として、だけではなく、表現として、意味を持つようになりました。階級の、身分の、支配、被支配、の表現としての意味を。
 人類の祖先は、ある時、衣服を発明した。人類は、無から、衣服という、有を生んだ。まさに、画期的です。それは、大きな葉っぱ、だったかもしれません。しかし、大きな葉っぱ、だったとしても、雨をしのぐのに、大きな葉っぱ、を頭に載せたとしたら、それは、「衣服を身に纏う」ことの始まりであったことは確かです。日本人の祖先は、きっと、身の周りに有った、草や木で、衣服の原型を作った。最初は、葉っぱをそのまま、木の皮をそのまま、身に纏いつけたでしょう。そして、次第に、木の繊維を取り出して、糸を作り、その糸を編み上げたり、織り上げたりして、布を作ることを始めたことでしょう。 あるいは、弥生時代、縄文時代より、さらに遡って、海を渡って渡来した、織物に触れる機会があったかもしれません。
 衣服が誕生した頃、きっと、衣服を創造する技術は、当時にあっては、最先端の、最高度の技術であったはずです。最先端の、最高度の技術をもって創造された衣服は、それを身に纏う人間は、当時の権力者でしかありえなかった。衣服、それ自体が、権力の、権威の象徴であったでしょう。権力者は、自らの権威を誇示するために、権力者の自己表現として衣服を身に纏った。そして、より権威を高めるために、さらに高度な、高級な衣服を身に纏うことを追求したことでしょう。巨大な古墳を創造するに匹敵する労力を惜しまず。権力者の飽くなき権力欲が、衣服を創造する技術と感性を、より高めていったのです。
 余剰生産物を産み出すことに成功した人類は、余剰生産物を産み出すことで、富の偏在、すなわち、階層社会に突入しました。上層、中層、下層、の、さらに細分化された階層が生まれました。おそらく、その階層の差、貧富の、美醜の差は、現在の私達には想像を絶するほどであったでしょう。最下層の生活は、人間以下であった。最低の生存条件すら確保できなかったでしょう。しかし、いつの時代にあっても、すべての人間は、より豊かで、より美しい生活を求めました。そのためには、より高い階層に昇っていくことが必要だった。より高い階層に昇るためには、より優れていなければならなかった。より劣るものは落ちていくしかなかった。優勝劣敗が、冷厳な真理なのです。
 衣服は、より高い階層に昇っていくために、重要な要素でした。なぜなら、より優れた子孫を残すことが重要だったから。より優れた子孫を残すためには、優れた配偶者を得る必要があるからです。優れた配偶者を得るためには、男性であれ、女性であれ、異性に対して、自らの富を、美しさを、自らが優れていることを、表現しなければなりません。そのために、衣服は重要な働きをするのです。衣服で身を飾ることは、衣服で自らの優位を実証することにつながるからです。