きもの四方山話

第二話  衣服の起源

 私は、ある時、「着物」について考えていて、「着物」とは、「着る物」だ、ということに気が付いて、さらに、「着る」という行為、すなわち、「衣服を身に纏う」という行為が、地球上のあらゆる生物の中で、人間にのみ与えられた行為であることに気が付いて、感動しました。かつて、人間という、不可解極まりない生き物について、哲学者や、歴史家や、その他、色々な人間が、「人間とは、考える葦である」とか、「火を使う動物である」とか、「道具を使う動物である」とか、「遊ぶ生き物である」とか、様々な定義を出しましたが、その伝で言うと、「人間とは、衣服を身に纏う動物である」と定義できるのではない、と考えました。
 「人間とは、衣服を身に纏う動物である」という定義は、多分、間違いなく当たっている。「人間は、衣服を身に纏う動物である」という真実の中に、逆に、人間にとって、衣服が何であるのか、という本質が見えてくるように思えます。その本質のひとつは、衣服が、人間という動物の生存条件にとって、必ずしも不可欠ではない、ということです。もし、衣服が人間の生存に不可欠であるなら、他の動物が、衣服を身に纏わないで生存し続けることはありえないからです。
 しかし、「衣服を身に纏う」ことを発見したがゆえに、人間は、生存条件を拡大できたことは事実です。火を使うようになったこと、道具を使うようになったこと、と同様に。火の発見、道具の発見、衣服の発見、は、人間の生存条件を飛躍的に拡大し、人間をして、「万物の霊長」たらしめたのです。おそらく、人類の祖先は、生存条件を拡大するために、火を発見し、道具を発見し、衣服を発見した。そして、おそらく、火を発見することによって、道具を発見することによって、衣服を発見することによって、人間は、考えることを発見した。まさに、「人間とは、考える葦」なのです。
 なぜ、人類は、「衣服を身に纏う」ことを発見したのか。それは、生存のために、より柔軟に、多様に、環境に適応するためであったでしょう。地理、気候、という外的環境は、一年中、一世紀中、一定ではありえません。時々刻々、変化する。緩慢な変化であることもあれば、激的に変化することもある。時に、生存の条件を、極端に脅かす変化も起きたでしょう。人類の祖先は、環境の変化に対応するために、適応するために、「衣服を身に纏う」ことを発見した。とりわけ、気候の変動に対応するために、衣服を発明した。暑さに、寒さに、風に、雨に、対応するために。あるいは、外敵から身を守る防御のために。言葉で言うと、実用のために、「衣服を身に纏う」ことを人類は発見しました。
 「衣服を身に纏う」ことで、外的環境に適応する能力を身に付けた人類は、気候的、地理的、すなわち「風土」の拘束から脱却し、一挙に、生存条件を拡大することが出来ました。外的環境に支配されるのではなく、外的環境を支配することが出来るようになったのです。そのことは、とりもなおさず、人類が、動物社会から人間社会に飛躍することが出来たことを意味しています。人類は、「衣服を身に纏う」ことによって、動物から、人間へ、飛躍したのです。