きもの四方山話

第一話  きものの話

 「きもの」は、「着物」です。 「着物」とは、「着る物」、という意味で、英語の、「WEAR」が、「着る物」、と言う意味であることと規を一にしています。「着物」、という日本語の中で使用されている、「着」という文字は、中国の文字である、漢字です。「古綿が飛んでべたべたくっつく」というのが本来の意味で、中国風の読み方である「音読み」は、漢音で「ちゃく」です。文字を持たなかった日本人は、「衣服を身に纏う」ことを表現する文字として、「着」を用いました。そして、古来、日本人が、「衣服を身に纏う」ことを、「きる」と呼んでいた、「きる」というコトバを、「着」という漢字の、日本語の読み方、「訓読み」としたのです。
 日本人は、古来、「衣服を身に纏う」ことを、「きる」と呼んでいました。では、なぜ、「衣服を身に纏う」ことを、「きる」と呼んだのでしょう。ここからの推論は、私の、全くの当てずっぽうですが、「きる」、とは、「木る」、ではないか。日本人は、概ね、農耕民族です。狩猟民族でも牧畜民族でもありません。四季の変化に富む日本の気候風土は、定住性の農耕に適していました。「山紫水明」という言葉が、日本の自然を見事に表現しつくしているように、豊かな草木樹林が広がっていました。日本人は、寒暖風雨をしのぐ衣服に、辺り一体に広がる草木の繊維を用いました。狩猟牧畜民族が動物の毛皮を利用したのとは異なって。日本人の衣服は、「木」だった。だから、「衣服を身に纏う」ことを、日本人は、「木る」と称したのだ、と私には思えます。
 私は、「きもの」について、原始の起源に遡って考えてみようとしています。呉服屋として、「きもの」とは何か、あるべき「きもの」とは何か、を考えた時、それは、「人間」とは何か、を考えることでもある、と気付いたからです。それは同時に、「人間」が構成する「社会」を考えることでもあります。「きもの」の有り様は、その時々の「人間」の生き方、「社会」の在り方と密接不可分にあります。「きもの」の変遷は、「人間」の、「社会」の変遷でもある。であるなら、呉服屋として、今の時代に相応しい「きもの」、来るべき時代に望ましい「きもの」を提供しようと試みるなら、あるべき「きもの」の予兆を明確に具象化しなければなりません。私が、「きもの」について、原始の起源に遡って考えようとするのは、古代から現代に至る「きもの」の歴史は、「人間」の、「社会」の歴史と密接不可分に重なり合っているからです。過去から現在に至る歴史を学ぶことは、現在から未来に至る予測を可能にします。来るべき時代の、「人間」の生き方、「社会」の在り方、に相応しい、「きもの」の有り様が、見えてくるかもしれないのです。