去る、8月25日、伊勢の白子に行きました。伊勢の白子、といってもご存知でない方がほとんどでしょうが、鈴鹿サーキットのある所、と申し上げると、ご存知の方も、中にはいらっしゃるでしょう。伊勢の白子は、三重県鈴鹿市にあります。なぜ、伊勢の白子に行ったのか、というと、伊勢の白子は、江戸時代から、着物に模様を染めるための型紙、「伊勢型紙」の産地で、産地見学に訪れたのです。
 伊勢の白子に行くのは、二度目でした。最初に訪れたのは、今から20年前、1990年のことでした。「伊勢白子 型紙を彫る」、というタイトルで、「伊勢型紙」を用いて染めた「小紋」の着物の展示会を開催するに先立って、産地見学に行ったのです。その2年前、古代染織研究家の名和野要さんに、草木染の工房を見学させていただき、「ものづくり」の現場を訪ねることの重要さを痛感し、「小紋」の着物にとって、無くてはならない「伊勢型紙」の現場を、是非、見たいと思い立ったのです。
 当時、弊店は、「伊勢型紙」で染めた「小紋」の着物は、京都の「珍粋(ちんすい)」という専門問屋から提供していただいていました。弊店の担当だった「珍粋」の社員さんに案内していただいて、伊勢の白子に行ったのです。近鉄の白子駅で待ち合わせたのですが、駅に降り立つと、社員さんと、「伊勢型紙」の彫刻師、一尾欣樹さんが私たち夫婦を出迎えてくださいました。初対面の一尾欣樹さんは、職人さんらしい剛直な印象でしたが、挨拶を交わすと、言い回しに、独特の訛りがあって、とても穏やかで優しい方でした。
 早速、自宅の仕事場に案内していただきましたが、部屋中、型紙を彫る道具(彫刻刀のような)だらけでした。まず、道具の説明を聴かせていただきました、「伊勢型紙」の彫刻師にとって、如何に、道具が命であるかを、懇々と聞かせていただきました。「伊勢型紙」の彫刻師は、何百本もある道具を、全部、自分で手作りされるのです。道具の出来具合が、「伊勢型紙」の出来映えを左右するので、道具作りに細心の注意を払われるのです。
 道具の説明を聴かせていただいてから、実際に、型紙を彫るところを見せてくださいました。美濃和紙を柿渋で塗り固めた型紙に図案が刷り込まれていて、図案に添って彫り進めるのですが、ミリ・コンマ以下の極細の模様ですから、微妙な光線の変化でも、図案の見え方が違い、蛍光灯の灯りだけで彫らないと出来ない作業で、極度の集中力が必要なこともあって、本番の仕事は、真夜中の作業だそうです。
 工房のすぐ南側は海で、松林が見えます。「伊勢湾台風の時、あの松林が全部、波に流され てさ」、と一尾欣樹さんは、その時の恐ろしさを思い出すように語られました。自然災害の脅威は、その5年後、阪神淡路大震災で、私たちも思い知らされたのですが、その時は、夢にだに想像もしていませんでした。ご子息が、コンピューター関係のお仕事をされておられたそうですが、「最新のコンピューターを使っても、型紙は彫れんそうやは」と胸を張られました。
 それから、レストランにお連れ下さって、昼食をご馳走になり、食後、町内にある、「鈴鹿市伝統産業会館」に案内してくださいました。「鈴鹿市伝統産業会館」には、パネル写真や、実物の道具類、古文書、などが展示されていて、「伊勢型紙」の制作手順が明快に解説されていましたが、実際に、一尾欣樹さんから説明を受けていたので、より一層、理解が深まりました。
 初めて伊勢白子を訪れてから半年後、店内で、「伊勢白子 型紙を彫る」を開催いたしましたが、初日、二日目、三日目と、一尾欣樹さんに遠路、「丸太や」にお越頂きました。真夜中に白子を出られ、車を走らせ、朝4時頃に神戸に着かれて、店の前に車を停めて開店までお待ちくださいました。毎日の仕事が真夜中なので、深夜、車を走らせるのが苦にならなかったそうです。
 「丸太や」店内では、来場されたお客様に、伊勢型紙の彫刻を披露してくださいました。「極鮫(ごくさめ)」という、最も細かい模様の場合、10円玉の大きさに、300個の小さな穴を開ける、というお話に、お客様は皆さん、感嘆されておられました。店内では、一尾欣樹さんが彫刻された伊勢型紙で染められた着物を展示いたしましたが、一尾欣樹さんが彫刻された伊勢型紙を、そのまま額装された鑑賞額も展示いたしました。私は、その中のひとつ、桧垣(ひがき)の模様に、松竹梅を彫り込んだ額を、記念に頂戴いたしました。
 一尾欣樹さんは、昔気質の律儀な方で、それから、毎年、暮れに、翌歳の干支を伊勢型紙に彫り込んだ色紙を贈ってくださいました。11年前の平成11年の暮れにも、「辰」を彫り込んだ見事な色紙を贈ってくださいました。ところが、年が明けて、1月の終りごろ、一尾欣樹さんの奥様から郵便物が送られてきたのです。中を開けると、伊勢型紙の色紙が同封されていて、奥様のお手紙が添えられていました。一尾欣樹さんがお亡くなりになられたこと、同封の色紙が最後の作品であること、生前の交誼への謝辞が書き記されていました。
 「丸太や」では、折にふれ、一尾欣樹さんから頂戴した、「松竹梅」の鑑賞額を、お正月とかに、飾らせていただいていました。しかし、伊勢型紙で染めた小紋の着物は、「珍粋」が、1995年、震災の年の秋に廃業されて以来、弊店での取り扱いはありませんでした。今から3年前、2007年の春、京絞り染の寺田豊さん、抓掻本綴の服部秀司さんから、大野信幸さんという伊勢型小紋を手染めする伝統工芸士をご紹介いただき、2007年3月、2008年5月、2009年3月、と毎年、伊勢型小紋の展示会を開催していただきましたが、その会期中、必ず、一尾欣樹さんの、「松竹梅」の鑑賞額を会場に飾らせていただきました。
 昨年、3月に開催した大野信幸さんの伊勢型小紋展の会期中も、一尾欣樹さんの、「松竹梅」の鑑賞額を会場に飾っていたのですが、大野信幸さんが、「立派な伊勢型紙ですね。素晴らしい仕事をされておられます。この型紙で着物を染められたら如何ですか。良い小紋が出来上がりますよ」、おっしゃられたのです。まさか、そのままで着物を染められるとは夢にも思っていなかったのですが、大野信幸さんが、そうおっしゃるのなら、きっとそうなんだろう。小紋に染め上がった一尾欣樹さんの、「松竹梅」を是非見たいものだ、と熱望しました。
 生涯を懸けて、伊勢型紙の彫刻に精励された一尾欣樹さん。一尾欣樹さんが遺された、「松竹梅」の伊勢型紙が、昨年、京都府伝統産業技術者、通称、「京の名工」の認定を受けられた大野信幸さんの手によって、着物に染め上がられるなら、一尾欣樹さんの伊勢型紙に、命が与えられるのだ。着物を染めるために彫刻された、伊勢型紙の、本来の使命が全うされるのだ。大野信幸さんの手によって染め上げられた、「松竹梅」の着物には、きっと、一尾欣樹さんの伊勢型紙彫刻師の命が宿る、輝くことでしょう。