第二章  プロポーズ

 新聞作りのために、ふたりで打ち合わせをするようになり、会話を重ねるにつれ、彼女の聡明さに惹かれました。一言で言うと、頭が良い。テキパキ、キッチリ、こなしていく。いつしか、練習の帰り京都の自宅まで彼女を車で送るようになりました。いつしか、ビオラとチェロの二重奏をするようになりました。いつしか、結婚を申し込むようになりました。そして、昭和57年3月28日、ふたりは結婚しました。
 交際をしていた時、彼女は中学校の音楽の先生でした。先生を天職と思い続けて先生になったのです。結婚しても先生を続けていました。その年の秋に妊娠し、翌年の6月が出産の予定日でした。卒業式、終業式を終えて産休に入りました。ところが、丁度同じ頃、「丸太や」に異変が起きたのです。母と一緒に店を経営してくれていた専務の叔父が急死したのです。突然、思いもかけず私が店を経営することになりました。それまでは店の経営に直接、責任のある立場ではなかったのが、店の命運が私に託されたのです。家内が店を手伝ってくれれば、という気持ちが強く起こりました。その気持ちに気付いてか、産休が終わりに近づき、中学校に復帰するかどうか結論を出さなければならなくなったとき、家内は「丸太や」に出ることを選んでくれました。
 4才の時にバイオリンを始め、学校の先生に憧れ、京都市立芸術大学音楽学部でバイオリンを専攻し、中学校の音楽の先生になった家内。私と出会ったばっかりに、突然、人生が180度、転換してしまったのです。しかし、唐突に呉服屋になって、家内は呉服屋としての人生を見事に再出発しました。着物を着てみないと着物は分からない、お客様に着物をおすすめすることは出来ない、と着物を着るようになりました。すると着物の良さに目覚めて着物がどんどん好きになりました。色々と着物を着ていくうちに着たい着物を選ぶようになりました。そしてバイオリンの着物を着たいと思うようになったのです。
 4才の時から、いつもそばにあったバイオリン、肌身離さず持ち続けていたバイオリン、着物は大好きだけど、着物を着るとバイオリンから離れてしまう。着物を着ている時もバイオリンを身につけていたい。バイオリンがデザインされた着物や帯があれば、と思い始めたのです。