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秋のたより

 
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九月二十日(土)より二十八日(日)まで



 「呉服屋を継いでほしい」と母に言われた記憶はありません。大学に進学が決まって、叔父に報告すると「東京で四年間遊んできたら神戸に帰ってくるんやで」と言われ「丸太やはあんたのお父さんのときから店の人のことを何より大事にしてきた」と聞かされたとき、自分は店を継ぐ立場にあるのだ、と強く自覚しました。叔父は呉服屋修業の取っ掛かりにと考えたのでしょう、冬休み、春休みに神戸に帰ってくるたびに月初め京都の問屋さんで開かれる新作展示会に私を連れていってくれました。色鮮やかな着物や帯が所狭しと展示された会場は華やかで活気に満ちて学生生活とは別世界でした。「門前の小僧」ということばどおり大学を卒業すると同時にこの世界に入ったのです。
 縁あって私と結婚した家内は中学校の音楽教師の職を辞し、思いがけずも呉服屋になりました。私自身の経験で呉服の勉強には問屋さんの新作展示会で多種多様な商品、着物や帯を見ることが一番、と考えていましたので叔父に連れていってもらったように毎月、月初め家内を連れて京都の問屋さんを回りました。最初の頃は見るものすべてが新鮮で驚きだったでしょう、しかし次第に私だったらどの着物にどの帯を合わせて着てみようかしら、と自分自身のおしゃれ心を鏡に映して見るようになりました。特にお気に入りは紬問屋「加納」さんの会場です。あるとき「この紬、どう。買ってもいい?」と私の眼を射すように見つめて言いました。それは草木染め独特の柔らかで深い色合いの織物でした。その織物「みさやま紬」は私も以前より眼を留めていましたので家内の気持ちはよく分かりました。
 当時「加納」の担当者は新入社員でしたので家内とは新人同士、一緒に呉服を勉強する気持ちでお付き合いさせていただいていましたので購入した「みさやま紬」も一緒に裁ち合わせをしていました。生まれて初めて自分で選んで買った着物、「みさやま紬」は家内にとって呉服屋修業の第一歩になったのです。



 「私のきもの」第一号になった「みさやま紬」を家内は事有るごとに楽しんで着ていました。あまりに度々着るので八掛の裾が擦り切れてしまい、洗い張りをして仕立て直しをするとさらに着心地が良くなりました。平成六年の六月、「加納」さんの会場に行くと担当の方が「みさやま紬の横山俊一郎さんが会場に来られてるのですが、丸太やさんとはきっとお話が弾むと思いますのでご紹介しましょうか」とおっしゃってくださいました。初めてお会いした横山俊一郎さんは訥々と語られる言葉のはしばしに「ものづくり」への誠実さ、大地にしっかりと根を張った人のゆるぎなさが感じられました。草木染めの材料にする木や実を裏山に採取に行く、というお話に「いつかおうかがいしたいです」と申し上げると「是非お越しください」とおっしゃってくださいました。
 その翌年、神戸を地震が襲いました。少し落ち着きをとりもどした三月、「美しいキモノ、1995春号」を読んでいると作家の立松和平さんの連載「染めと織りと祈り」で「みさやま紬」が紹介されていました。その記事がとてもまぶしくて思わず横山俊一郎さんにお電話をかけてしまいました。横山さんは「皆さんご無事でしたか。お店やご自宅の被害はどうでした。」と心配してくださいましたが、比較的被害が少なかったことや営業を再開して商売に励んでいることをお伝えすると「いや、こっちのほうが元気をいただいてしまいました。お互いがんばりましょう」。あの震災の状況下で弊店のことを気にかけてくださっていたことがとてもありがたくて、いつかきっと信州松本の横山さんの工房をお尋ねしようと心に決めました。
 翌年の八月、初めて訪れた横山俊一郎さんの工房は松本市内の北東、三才山(みさやま)の山間にあり、その奥には美ヶ原が広がります。横山俊一郎さん、お父様の英一さん、お母様の和子さん、奥様のみゆきさん、とご家族みんなで出迎えてくださいました。青年時代、声楽家を志したというお父様は朗々としたお声で思い出話を聞かせてくださいました。戦後、農業の傍ら織物づくりに取り組み、当時盛んだった民芸運動の指導者柳悦孝氏の指導を受けながら改良を加えてきたこと、など年令を感じさせない熱っぽい語り口に時を忘れて聞き入りました。お母様は私の娘と息子に「こっちにいらっしゃい」と連れ出してくださって、しばらくしてもどってくると籠いっぱいにきゅうりや茄子、とうもろこし、それを次から次に出してくださったのですが、その美味しいこと。何よりのご馳走を頂いたあと俊一郎さんに案内していただいて染場、機場、を見せていただきました。どういうところに心を砕いてものづくりに取り組んでいるかを聞かせていただいたのですが「みさやま紬」の柔らかで深い色合い、着れば着るほど着心地が良くなる風合いは気の遠くなるような細やかな手仕事の積み重ねから生まれることに強く心を打たれました。横山俊一郎さんが「みさやま紬」にこめた思いを是非お客様にお伝えしなければ、と九月に弊店で開催した「美は山峡にあり」にはたくさんのご来場をいただきました。
 三年後、再び三才山に横山さんを訪ねました。三年の間に少しずつ「みさやま紬」が変わったように感じたからです。ご両親は健在で少し耳の遠くなられたお父様が「サイトウキネンオーケストラの公開練習が聞けるのが楽しみで」と音楽談義に花が咲きました。俊一郎さんは「みさやま紬はマイナーチェンジ、というか少しずつ良くなっていると思います。ただ、だんだん機織の道具が入手しづらくなって、出来るだけ買い置きしているのですが」。その後店内で「三年後の再訪」を開催しました。
 この夏、みたび三才山を訪ねました。残念なことにお母様は昨年、お父様は今年の冬にお亡くなりになられています。「正直、大変でしたね。母は機織の技術としてはスゴイものを持っていましたから。でも両親が生きている間に、染についても、織についても、すべて教えてもらっていましたから。これを今度は私がどう伝えていくか、ということです。弟子をとって教えているのですが、教えるのは難しいですね。でもそれはとっても大切なことなんで、どんなに難しくてもやっていかなくっちゃ、とがんばっています」。話を聞かせていただいている間、奥様がきゅうりのつけものや果物や、次から次に出してくださって、初めてうかがったときのお母様を思い出しました。「お蔭様で注文に生産が追いつかないんです。なんせ一反織り上げるのに時間がかかりますから。でも結構なことだと感謝しています。昔に比べると長野県内で織物づくりをされておられる方は随分少なくなりましたけど、残ってがんばっている人はみんな希望をもっています」。そうだ、かつて「教えるとは希望を語ること」と歌った詩人がいました。横山俊一郎さんは「みさやま紬」の「染」と「織」を伝えるためにきっと「希望」を語っているのだろう。ささやかではあるけれどそのお手伝いをさせていただければ、と念じています。

 
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musicweek
まるたやフレンドリーコンサート
まるたやフレンドリーコンサートイラスト
PROGRAM
10/12 SUN. 『歌声に希望をのせて』
  「からたちの花」「私と小鳥と鈴と」「土」「菩提樹」他
時田直也(Br&Pf)
13 MON.
祝日
『日本の秋 こころの歌』
  「赤とんぼ」「ちいさい秋みつけた」「十五夜お月さん」 他
上林きよみ(Pf) 立花礼子立花紀子(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
14 TUE. 『青春の詩』
  ベートーベン:セレナーデOp.8,ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.16
上林きよみ(Pf)立花礼子(Vn)三木成美(Va)三木久雄(Vc)
15 WED. PAUSE(お休み)
16 THU. 『ボヘミアン ラプソディ』
  ドボルザーク:ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.87
島敏子(Pf) 宮下和子(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
17 FRI. 『ハイドン兄弟とモーツァルト』
  モーツァルト:フルート四重奏曲 ニ長調KV285 他
宮名利育(Fl) 橋本都恵(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
18 SAT. 『3大Bのふるさと・ドイツ』国巡りシリーズX
  バッハ、ベートーベン、ブラームス
立花礼子(Vn) 上林きよみ(Pf)
19 SUN. 『恋人たち』
  ブラームス:弦楽六重奏曲 変ロ長調Op.18
日比眞理子橋本都恵(Vn)井上敦子・三木成美(Va) 井上ほのか・三木久雄(Vc)
会 場   神戸・元町 丸太や 2階 ギャラリー響 25席 入場無料
 各日とも 11:00AM. 2:00PM. 4:00PM. より演奏いたします。
(演奏者の都合により予告なくプログラムを変更する場合がありますがご了承ください。)
 丸太やミュージック・フレンズで、 出演して頂いている方々のプロフィールもご紹介しています。


 
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十月十二日(日)より十九日(日)まで



 初めて、そのスカーフを眼にしたとき、なんと柔らかな優しい色、と心ひかれました。そのスカーフを染められた長田けい子さんに、初めてお会いしたとき、柔らかで優しい色は、この方の心の色なのだ、と分かりました。最初に弊店で個展を開いていただき、ブラウスやドレス、タペストリーやテーブルセンターを見せていただいて、たおやかさのなかにしっかりと芯があるのに気づかされたとき、その強靭さも長田けい子さんの人柄のなかに秘められていることを知りました。
 花が好きで、京都の植物園に行っては写生を繰り返されたこと、友禅工房で手描き友禅の修業を続けられたこと、など聞かせていただいて、その色が長田けい子さんの心の色に染まるようになるまでに、どれほどの時が積み重ねられたかを推し量ることは出来ませんが、測り知れない努力を重ねてこられたであろうことは、その色のえも言えぬ美しさが何より語りかけています。
 1994年4月、初個展「パステル色に花ひらいて」から7ヵ月後、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の第2回目の発表会に、長田けい子さんに「花につつまれたバイオリン」としてオリジナルのブラウスやスカーフを作っていただきました。長田さんが描く慎ましくも美しい花につつまれて、バイオリンが、ピアノが幸せそうに微笑んでいました。その華やかな発表会の直後、神戸の街を破壊し尽くした地震が襲うとは、そのとき知る由もありませんでした。
 震災の2ヵ月後、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」を東京で発表する機会にめぐり合いました。是非、長田けい子さんに新作を、とお願いして、東京に出発するその日、京都で途中下車して、京都駅の地下のコーヒーショップで待ち合わせをし、長田さんから新作を預かりました。東京の会場で、その作品は大好評で完売することが出来たのですが、私には「丸太やさん、どうか震災の惨禍に負けないでがんばってください」というメッセージがこめられていると強く感じました。
 あれから9年が経とうとしています。春、秋、恒例になった「丸太やフレンドリーコンサート」の会期にあわせて、長田けい子さんに「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の新作を発表していただきました。スカーフやブラウス、タペストリーやテーブルセンターから始まって、きものや帯も生まれました。振袖、訪問着、染め帯、どれほどたくさんのお客様が長田けい子さんの「夢をかさ音」た色にくるまれて幸せな思いをお持ちいただけたことでしょう。「夢のつづき」を見続けたいものです。
 
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十月二十三日(木)より二十八日(火)まで



 「この間、立山に登ってきましてね、雷鳥を見てきました」。別染の注文を頂き、京都の「千總」で製作部の担当として紹介された名和野要さんが挨拶を交わしたあと話題にされたのが「雷鳥」でした。商売は「売れてナンボ」の世界、「いかに売るのか」ということしか関心がなくて当たり前、話題は「どうでっか、儲かりまっか」。そういう世界に身を置く人間として「雷鳥」の話題はとても新鮮だったし驚きでした。当時、「千總」の担当者だった増田文明さんが「きっと久雄さんとは話が合うと思ってました」、と後日語ってくださいました。
 増田さんの推察どおり、以後名和野さんとは小売屋と問屋、という関係を超えてお付き合いさせていただきましたが、正しく言うと「染織の先生」と生徒の関係でした。名和野さんは驚異的なほどフットワークが軽く、尽きることの無い好奇心であちこちを訪ねてこられました。私が染織についてお尋ねすると「久雄さん、一緒に行きましょか」と、京都市内の草木染工房、手描友禅工房、型友禅工房、刺繍工房、滋賀県の野洲町の藍染工房、長浜市の縮緬工場、と各所に案内してくださり「ものづくり」の現場を見ることの大切さを身をもって教えてくださいました。
 横山喜八郎さんに楽器をモチーフにした染帯を作っていただき「丸太やオリジナルコレクションコンサート」として発表を計画すると、「着物は私が作りましょう」と型友禅の草木染で素敵な着物を作ってくださいましたが、その着物は「きものサロン99秋号」に「東西人気ショップのおすすめ小紋」として紹介されました。1997年、志有って「千總」を退社される直前、置き土産として「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の襦袢を作ってくださいました。
 名和野さんは「千總」在職中から、年に2度、盆と正月に長期休暇をとって外国に旅行をされました。日本の染織文化の精華である「きもの」のルーツを求めての旅です。シルクロード領域の周辺諸国、更にヨーロッパ、アフリカ、そして中南米諸国と足を伸ばされ、訪れた土地で精力的に民族衣装を収集されました。2001年2月、名和野さんが民族衣装の収集に訪れた国が100ヶ国を超えたのを記念して弊店で「シルクロードロマン―民俗衣装展」を開催したところ大きな反響を呼び、その後全国各地で開催されました。この度、前回特集したシルクロード周辺地域の民族衣装から、織物の宝庫といわれる中南米の民族衣装を特集して開催していただくことになりました。会期中、名和野要さんにお越しいただいて現地で撮影された写真もご覧頂きながら資料の説明をしていただきます。また名和野さんが製作に係わられた着物や帯もあわせてご覧いただくことになりました。
 地球のグローバル化、といわれますが太古より「地球はひとつ」であることを「民俗衣装展」で実感していただけるのではないでしょうか。
 
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とき 十一月 八日(土)より

    二十四日(月)まで

ところ  弊店


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赤札大売出し