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春のたより
 
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 呉服屋になったばっかりで商品の伊呂波も分からない頃、分からないなりに綺麗な 着物やな、とか面白い帯やな、とかお気に入りの品物がありました。分からないなり に目に留めていた商品がお客様のお気に召してお買い上げいただけるとなにか自分が 品物の良し悪しを見分ける眼があるように思えてこっそり喜んだりしたものです。と ころがとても好きな色柄なのになぜかお求めいただけない商品もあります。どうして なんだろう、と考えても分からない。その年の秋、私にとって初めての赤札大売出し の前日、店のシャッターを閉めて準備が始まりました。母が朱枠の紙に筆で「特別奉 仕品」とか書いてその紙を壁にはったり陳列ケースに紅白の幕をまいたり当時七人い た社員が手分けして用意をしていました。叔父が陳列ケースから商品を選び出し商品 台帳を見ながら赤札に値段を入れていきました。そのなかに私のお気に入りの着物や 帯もいくつかあったのですが白札(正札―定価)の値段に対して赤札の値段は何割も 安い。その赤札の値段を見たときとても不憫な気持ちになりました。お客様のお目に 留まって喜んで白札でお求めいただける品物がたくさんあるなかで、なにも格別色柄 が悪いわけではない、むしろ私自身はとても気に入っていたのにそれまでにお客様と の良いご縁がなかったばっかりにこんな風に値段を下げられて売りに出される、ふと 「身売り」という言葉が思い浮かんで品物が可愛そうな気持ちになりました。でもそ の商品がお安くなってお値打ちになったことでお客様が大喜びしてお買い求めいただ けると本当に良かった、と思いました。それもまた大切なご縁なのでしょう。

 
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まるたやフレンドリーコンサート
PROGRAM
4/20 SUN. ベートーヴェン:弦楽四重奏曲Op18-2,ボッケリーニ:マドリッドの夜警
日比眞理子橋本都恵(Vn) 三木成美(Va) 井上ほのか・三木久雄(Vc)
21 MON. モーツァルト:ピアノ四重奏曲 ト短調 KV 478 ほか
島 敏子(Pf) 宮下和子(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
22 TUE. ディズニー名曲集:星に願いを,いつか夢で,くまのプーさん ほか
宮名利育(F1) 橋本都恵(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
23 WED. PAUSE(お休み)
24 THU. ドヴィエンヌ:ファゴット四重奏曲 ハ長調 Op 73-1,ヘス:二重奏曲 ほか
永江恵子(Fg) 橋本都恵(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
25 FRI. フォーレ:ピアノ四重奏曲 ハ短調 Op 15
上林きよみ(Pf) 立花礼子(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
26 SAT. ヴィニアフスキー:モスクワの思い出,ショパン:革命 ほか
立花礼子(Vn) 上林きよみ(Pf) 国巡りシリーズW(ポーランド)
27 SUN. シネマミュージックU スターウォーズ,踊り明かそう,薄情 ほか
上林きよみ(Pf) 立花礼子・立花紀子(Vn) 三木成美(Va) 三木久雄(Vc)
会 場   神戸・元町 丸太や 2階 ギャラリー響(入場無料)
 各日とも 11:00AM. 2:00PM. 4:00PM. より演奏いたします。
(演奏者の都合により予告なくプログラムを変更する場合がありますがご了承ください。)
 丸太やミュージック・フレンズで、出演して頂いている方々のプロフィールもご紹介しています。



ロゴ 大学でオーケストラに入りチェロを始めました。 卒業して呉服屋になりましたが市民オーケストラでチェロを弾き続けていました。 いっしょに室内楽を楽しむ音楽仲間もできて余暇はいつもチェロをかついで練習にでかけました。 呉服屋、という仕事にどこか後ろめたさがあって自分の存在理由を仕事の中に充分に見出せない分、音楽の中で完全燃焼していたのです。 「チェロとかけてなんと解く、アイウエオと解く、そのこころはカ行(家業)はその次」とうそぶいていました。 もっといい音楽がしたい、と22年前、結成直後の大阪シンフォニカーという後年プロに成長したオーケストラに入団しそこで家内と出会い結婚しました。 音楽で結ばれた二人、家内は中学校の音楽教師の職を辞して呉服屋になりましたがかつての音楽仲間を交えて室内楽を続けていました。 その頃、元町商店街を歩いていて5丁目に「アマデウス」というお店をみつけたのです。 きっとオーナーはモーツァルトがお好きなのだろうと店内に入るとやっぱりクラシック喫茶で「モーツァルトを演奏されたお客様にはケーキセットをサービス」と張り紙がしてありました。 カルテット仲間を誘ってサロンコンサートに一年に一度出演するようになりました。
 1992年の9月も「アマデウス」に出演することになっていたのですがよんどころ無い事情が起きてキャンセル、 せっかく本番に向けて練習を重ねていたのに残念で、ちょうどその頃店の2階を「ギャラリー響」として美術・工芸の発表の場に提供していましたので、 だったらそこでコンサートを開こうと考えたのです。 しかしそれまで私がチェロを趣味で弾いていることは取引先にもお客様にも内緒にしていました。 「仕事一筋」が高く評価される風土の中で趣味に興じることは「道楽者」として信用されないのでは、と危惧していたのです。 「ふれあいコンサート」という案内には出演者名を「キャメルストリングカルテット」とだけ記入したのですが名前の由来はメンバーがそれぞれ3〜9才の子供がいて 練習にはいつも子供が一緒<コブつき→らくだ→キャメル>、メンバーの名前は書きませんでした。 コンサートは弊店のお客様もたくさんお越しくださって満員で終演後「丸太やさんが演奏されるなんてビックリしました。 とても楽しかったので是非またコンサートを開いてください」とおっしゃっていただきました。 そうか、私自身を隠しだてなくお見せすることをお客様は認めてくださるのだ、とほっとしました。
 1994年2月、横山喜八郎先生との出会いから念願の音楽をモチーフにした帯やきもの「丸太やオリジナルコレクションコンサート」が誕生、 その発表会に「きもので集うワインコンサート」を開きました。 私と家内が音楽が好きで、きものが大好きだからこそ生まれた「丸太やオリジナルコレクションコンサート」、そのきものの発表に私達の音楽を聴いていただくことが何より私達の「思い」をお伝えできるのではないか、と考えたのです。 キャメルストリングカルテットのメンバーに共演していただき思い出のモーツァルトをきもの姿のお客様に楽しんでいただきました。 その年の12月、再びコンサートを開いて「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の新作展を開催したのですが、そのわずか一ヵ月後に阪神大震災が神戸を襲うとは夢想だにしませんでした。 瓦礫の中から私達は「丸太やオリジナルコレクションコンサート」を携え、京都、大阪、名古屋、岡山、敦賀、茅ヶ崎、高山、大垣と各地に出向き、音楽仲間に共演していただいてコンサートを開いてきました。 震災の年の10月には店内で「MOTOMACHI MUSIC WEEK」と名づけたコンサートを開催、一週間毎日日替わりでコンサートを楽しんでいただきました。 あれから丸八年が過ぎ「丸太やフレンドリーコンサート」と名前を変えてこの4月、16回目を迎えます。
 
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四月二十七日(日)より五月五日(日)まで


 1993年春、染織、陶芸、漆芸、木工、金工、など美術工芸の作品が一堂に展覧される日本現代工芸美術展を初めて京都市立美術館に見学に行きました。 その年の1月、後に「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の生みの親となる横山喜八郎さんとのご縁を頂き2月に最初の個展を開いていただいたのですが 日本現代工芸美術展の審査員でもある横山さんから展覧会のご案内をいただいたのです。会場に展示された作品は作者の熱い想いと究められた技が濃密に凝縮していて引きこまれるように ひとつひとつの作品に見入ってしまいました。 しかし作品に圧倒され次第に疲労を感じ始めたそのとき、ひとつの作品に吸い込まれるように視線が留まりました。 藍の限りなく微妙な濃淡、ただグラデーションだけで表現された静謐な世界はそれまでの過剰に濃厚な作品に食傷気味になっていた私に一陣の涼風でした。 「芳賀信幸」、作者の名前を胸に刻みいつかこの方に弊店で個展を開いて頂きたい、と心に秘めました。
 1年後、思いがかない芳賀信幸さんの個展を開いて頂くことになり京都市左京区広河原の工房を訪ねました。 市内中心部から車で1時間半、貴船、鞍馬、と通り過ぎつづら折の花背峠を越えてたどりついた広河原は ここも京都市内かとにわかには信じ難いほど人里離れたところで「夜光るのは星ときつねの目だけ」、 工房の前を流れる小川は鮮烈に澄み切っていました。 「この水で藍染めの生地を洗うのです」と、訥々と語ってくださる芳賀さんは詩を書きたい、 と大分から京都にこられ生活の足しにと始めた染色の道を歩むことになられたそうです。 藍に魅せられ徳島の藍師新居修氏に出会って灰汁発酵建を始め日展、現代工芸美術展などに作品を発表しておられます。
 阪神大震災の直後、安否確認のお電話を頂戴し救援物資を送ってくださったのですが荷物のなかに軍手や雑巾からカレーなどの食料品など色々入っていて芳賀さんの心配りに人柄を感じました。 前年に始めた「丸太やオリジナルコレクションコンサート」に藍染でハンカチやコースター、Tシャツやテーブルセンターを作って頂くことになりましたが とりわけ楽器を蝋で描いたハンカチ・Tシャツは大ヒット商品となり震災後の商売の再建にどれほど力になったことでしょう。 芳賀さんの藍染のお蔭で「丸太やオリジナルコレクションコンサート」は大きな飛躍を遂げることが出来たのです。
 あのとき私を捉えたのは「詩」ではなかったか、「詩」を書きたい、という夢を追い続け、今も「詩」を書き続けておられる芳賀さん、 日本現代工芸美術展の会場で私が見たのは芳賀信幸さんの「詩」だったのでしょう。 その「詩」は芳賀さんの藍染の作品すべてに書き込まれているのです。
 
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五月二十二日(木)より二十七日(火)まで


 2001年春、「見せていただいていいですか」と店内に入ってこられた男の方は長田けい子さんが染めてくださった帯に熱心に目を留められて「力のある染ですね」とひとこと、奥に展示していた訪問着を食い入るように見たあと「横山先生の作品ですか、さすがですね」とおっしゃいました。「私も染をやっていますので。またゆっくり寄せていただきます」と「白河英治」と書かれた名刺を置いていかれました。「お店の前を通ったとき引かれるものがあったのです。思わず中に入ってしまって」と後に話してくださいました。長田けい子さんや横山喜八郎さんの作品がもつ力が引力となって白河さんを弊店に引きこんでくださったのでしょう。それから折にふれ立ち寄ってくださるようになったのですが、「9月に京都で個展をひらきます」、とご案内くださいました。三条木屋町のギャラリーで初めて白河さんの作品を見せていただきましたが、宇宙を予感させる奥行きが印象的でした。「父が染職人で私も小さい時から染の手伝いをしていました。染の技法は全部習得しました。でも、ある時期からそれでは満足出来なくなって。 作品創りを始めて色々な展覧会に出品するようになったのです。最近、逆に無性にきものを作りたくなって。きものは女性をより美しくするものでしょう。」
 数日後、「個展に来ていただいて」とお礼にお越しくださった折、「弊店で個展を開いていただけませんか、白河さんの染められるきものを是非見せていただきたいのです」とお願いすると、「来年の5月頃でしたら作品を用意できます」とおっしゃってくださいました。2002年3月、白河さんの作品が日展に出展されているのを京都市立美術館に見に行きましたがより広大な宇宙を感じる作品でまさに力にあふれていました。4月、初めて京都太秦の工房をおたずねしました。既にいくつものきものや帯が染め上がっていてどれもいまだ見たことのない染でした。「挽粉染(ひっこぞめ)という技法です。天目染ともいわれるのですが。天目茶碗に似ているでしょう。おがくずを使って染めるのですが、この染が出来るのは私ぐらいです。実際にお見せしましょうか」と京都の西南、吉祥院にある工場に案内していただきました。「門外不出で外部の人にはまだ誰も見せたことはないのです」と用意してあった生地に刷毛で色染めをし、すぐにおがくずを生地の上にいっぱいふりかけていきました。 それからガスバーナーで生地を下から熱し、しばらくしておがくずをはらい落とすと生地の表面に得もいえぬまだら模様が浮かび上がっていました。「この作業は大変な集中力が必要で終わるまでひとことも口がきけないのです。」
 5月に開催した個展には弊店のお客様、白河さんの染織教室の生徒さん達がたくさん来場してくださいました。お一人お一人に作品の技法について構想について丁寧に説明をされる白河さんの言葉のはしばしに人柄の誠実さ、染色技術への自負、より良い作品つくりへの熱意がにじみでていました。「来年も是非個展を開いてください」とお願いをしました。この5月1日、ふたたび太秦の工房をおたずねしたのですが見せていただいた新作のきものや帯は心なしか弊店のお客様のお好みに寄り添うような柔らか味がより増しているように思えました。「神戸は美しい街ですね。私は神戸が大好きなのです」とおっしゃってくださる白河さんは昨年は新緑の六甲の山並みの裾に広がる神戸の街を訪問着に描いてくださいましたが今年は六甲の山頂から眼下に広がる神戸の夜景を絵にしてくだいました。「私はひとつの作品を作り始めると並行して別の作品を作ることが出来ないのです。ひとつ仕上げて、次の作品はどういうものにしよう、と構想を練るのが楽しいのです。桂川の河川敷を散歩しながら考えるのです。良い所ですよ、このあたりは。」  個展の開催期間中、白河さんが会場にお越しくださって親しくお話を聞かせてくださいます。是非ご来場ください。