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冬のたより

随筆集へ

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一月二日(木)


仕事始め 午後より営業いたします


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一月十一日(土)より十九日(日)まで

 昨年の六月頃だったか、増田さんが「久雄さんと成美さんに是非見て欲しい帯があるんです」と数本の袋帯を持って来られました。「どうですか」とたずねられたので率直に「良いですね。いい風合いを出しておられる。デザインもさりげなくお洒落で」家内も気に入った様子でした。「実はこの帯は・・・」と話してくださったのは、増田さんの知人の妹婿さんが帯屋さんで、ところが問屋からの注文が激減してとても帯屋を続けていけない状態になり一旦は廃業されたのがやはりどうしても帯が織り続けたくて一年後に再開されたのです。しかし販路がなくて困っておられる、という相談でした。「久雄さん、成美さんに見てもらって反応が良くなかったら協力できないと思ったので。何か販売の機会を考えてあげてください」
 それから一ヶ月たって、その帯の製作者「織匠道長」の白数亮さんと岩永明さんが増田さんと連れ立ってお越しくださいました。いかにも織一筋に歩んでこられた、という風貌のおふたりでしたが新たに織り上がった帯を数点持参され、どういう糸をどういう組織で織り上げたかを熱っぽく語ってくださいました。和紙に色を染付けし引箔紙に貼付け横糸に織り込んだり従来は困難とされていた縦糸に紬糸を使ったり特に糸使いに工夫をされています。「どうして織匠道長と名づけられたのですか」とおたずねすると「私が平安時代、和歌を書いた色紙の道長の柄がとても好きでそれを是非、織で表現したかったのです」と岩永さんが答えられました。
九月の初め、今度は私たちが京都市北区の工房をたずねました。北野天満宮の裏手を北に上がったところでした。更に新しい帯が制作されていましたが「以前、こんなものも織ったんです」と白数さんが見せてくださったのは「江戸風俗絵巻」を帯に織り上げたものでまさに織の極致、織でこれほどこまやかな表現が出来るのか、と圧倒されました。私が不躾に「織られた帯をお客様がお締めになっておられる着姿をご覧になられたことはありますか」とおたずねすると「ほとんどないです」と正直に答えられました。「大変僭越ですが是非、お客様がどんなふうに着物と帯を組み合わせてお召になっておられるかをご覧になると良いですよ。帯と着物が見事にコーディネートされた着姿を念頭においてお作りになることが大切だと思います。」
 ものづくりに携わっておられる方はどなたも皆なこの厳しい時勢のなか頭が下がるほど熱心に取り組んでおられます。その努力が空転しないで実を結ぶためには、着物を楽しんでお召になるお客様の遊び心を知り学ぶことが必要だと痛感しています。「織匠道長」のおふたりに是非弊店のお客様をお引き合わせし、さりげなくきものファッションを楽しまれておられるお客様のご意見をお聞きいただけたら、と考えました。そういう機会をお作りしようと一月十一日から十九日まで「織匠道長―棄てがたきもの」を開催いたします。十一日、十二日、十三日の三日間、弊店にお越しいただくことになりました。「織匠道長」さんの帯をご覧いただきたく、また「織匠道長」さんにはお客様の着物姿をご覧いただきたく、心よりご来場お待ち申し上げます。


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二月一日(土)より九日(日)まで


 「十年一昔」というぐらいですから呉服屋を三十年続けると商売の有様も随分変わ りました。振袖ひとつをとってもある頃を境に大きく変化しました。振袖の場合おお かた振袖、袋帯、襦袢、小物一式をそろえておこしらえになることが多いのですがそ の分お買い上げの代金も高価になりがちです。ある時期、ナショナルチェーン(NC) という全国に販売店を展開する呉服屋が生まれ神戸にも何社かの支店が進出しまし た。そのほとんどが商品の中心が振袖で、かつ振袖、袋帯、襦袢、小物一式、仕立て 上がりでセット価格何十万円、支払いはローンで分割、という販売方法でした。弊店 ではお客様からご注文を頂いて振袖を販売していたのですが急激に振袖のご注文がな くなったのです。それは弊店だけの現象ではなく弊店のような従来からの呉服専門店 でも同じような状況になりました。原因はナショナルチェーン店やカタログ販売とい う新規の振袖販売にとってかわられた、ということでした。確かに振袖の購入を検討 されておられるかたがまずお考えになられるのは一体全部で予算はどれぐらいかかる のか、ということです。核家族や、転勤の多いご家庭では出入りの呉服屋さんがおら れなくて呉服屋には敷居が高くて入りづらい場合、一見して費用が予測でき、品揃え も豊富なナショナルチェーン店やカタログ販売がお客様の需要に合っていたことは間 違いありません。
 振袖の購入を検討されているご家庭は往々にして呉服の購入は初めて、という場合 が多いですので総額幾らになるのかを明示することはとても大事なことです。しかし 弊店では長らく振袖は「千總」、袋帯は「川島織物」をお勧めしてきましたので通常 でいくと振袖、袋帯、襦袢の三点仕立て上がりで百万円近い金額になってしまいま す。ナショナルチェーン店がセット価格三十万円というような価格で販売されておら れる中ではとてもその価格で太刀打ちできるわけがありません。あるとき千總の増田 さんが「九月に弊社で振袖の謝恩新作展をいたします。弊社が全力をあげて取り組ん だ企画で大変お値打ちな商品ですから是非ご覧ください。」とご案内をいただきまし た。確かに増田さんの言葉どおりさすが千總、これだけの振袖がこの価格に収まった か、という出来栄えでした。早速、数点発注しました。振袖がこの価格なら袋帯の価 格しだいでは振袖と袋帯、襦袢の三点仕立て上がりで五十万円に出来ないか、川島織 物に相談すると通常では無理ですが、弊社の決算のときでしたら、というご返事でし た。十月の決算市であらかじめ仕入れた振袖にあわせて袋帯を選択し弊店の利益を抑 えて何とか五十万円の価格を実現しました。以来、現在に至るまで毎年何組かのお客 様にご購入いただいています
 着物をお買い求めいただくことは、それがどのような着物であれありがたいことで すが、振袖はやはり特別なものがあります。それは振袖が女性にとって特別なもの、 だからでしょう。女性の一生のなかで一番晴れやかで華やかな着物。子供から大人に 巣立っていく旅立ちの着物。その一瞬のきらめきをお父様、お母様、おじい様、おば あ様、家族みんなが見守り、見届ける。振袖のなかに家族みんなの想いがあふれてい るのです。その幸せの瞬間に立ち合わせていただくことの幸せ、これほど呉服屋冥利 につきることはありません。

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三月一日(土)より九日(日)まで
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 1991年1月6日、新年のご挨拶に京都の問屋さんを回ったおり「菱一」さんで の雑談のなかで私の誕生日が一月十日、本恵比寿の日なので商売人としては目出度い 生まれですと軽口を言っていると傍に座っていた人が「私も一月十日が誕生日ですが 私の地元の新潟では一向に目出度い話ではありません。」と口をはさまれました。 「私はこういうもので」と差し出された名刺には「縮屋六代目 樋口隆司」と書かれ てありました。「お蔭様で今回全日本新人染織展で大賞を頂戴しました。京都文化博 物館で発表されていますのでお時間がありましたらご覧ください」とお誘いを受けた のが樋口隆司さんとのご縁のはじまりで、以来、樋口さんには二度、弊店で個展を開 いていただきました。二度目の個展のおり樋口さんから「信州上田の小山憲市さんと いうかたがとても良いものを作っておられます」と教えていただきました。後日、小 山憲市さんが全日本新人染織展で三年連続して奨励賞、大賞、を受賞された作品の写 真も送っていただきました。丁度その頃発刊された「家庭画報特選 きものサロン  97春号」に弊店が紹介され、同じ号の特集に「信濃路・春の旅―信州の染と織」が あって、その中で小山憲市さんご本人と作品が一緒に写真で紹介されていました。小 山さんの電話番号も記載されていて何か深いご縁を感じ思わずお電話をおかけしたの ですが電話口に出られた小山さんは「私もきものサロンの記事で丸太やさんを拝見し てこういう呉服屋さんもあるのだと思って見せていただきました」とおっしゃってく ださいました。
 その夏、信州の松本に行くことになり地図で見ると上田は足を伸ばせば行ける距離 でしたので思い切って小山さんをお尋ねすることにしました。宿泊先に迎えにきてく ださった小山さんはきものサロンの写真で想像していたより精悍で、ご自宅に案内し ていただき、お話を聞かせていただいたのですが、それは思いもかけない復活の物語 だったのです。小山さんの家は代々染屋をされておられたのですがお父さんの代から 織物を業とされていました。ところがある時期、呉服業界では留袖、振袖、訪問着な ど晴れ着が中心になり、紬や絣という織物が普段着ということで片隅に追いやられて しまいました。小山さんのところでも注文がどんどん減って、もう織物では生活でき ない、というところまで追い詰められたのです。いよいよ廃業を決意され、しかし最 後に自分が本当に織りたかった着物を織って止めよう、そう決心されて織り上げた着 物を全日本染織新人展に出品されたところ京都商工会議所会頭賞を受賞され翌年には 大賞・文部大臣奨励賞を受賞されたのです。それまでは問屋の注文で指示されたもの だけを作ってこられたのですが、これからは本当に自分が作りたいものを作ろう、そ こに道が開けるかもしれない。「あのときあっさり止めていたほうが良かったかもし れないですが」しかしあきらめきれず再び歩み始めた織の道、その道のなかばで小山 さんと出会えたことは、決して平坦ではない先の見えない商いの道を歩んでいる私に とってどれほど励みになったことでしょう。心をこめて織ることが織の道ならば、そ の心を伝えるのが商いの道、織にこめられた心は人の心を打ち、人の心を動かす、小 山さんの織物は私に商売の大事な有様を教えてくださいました。


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 信州上田で小山憲市さんと初めてお会いしときの深い印象、その誠実な人柄、作品 の出来映えに感銘を受けた私は弊店のお客様にも是非小山さんその人と作品に出会っ ていただきたい、という思いを抱きました。「弊店で個展をなさっていただけないで すか」とお願いすると「ありがとうございます。とてもうれしいお申し出ですが来年 の秋まで待っていただけないでしょうか。まだ作品が充分にありませんので一年をか けて納得いただけるものを作りたいと思います」。それから一年後、再び小山さんを 訪ねると出来上がっていました。
絵羽のきもの、着尺のきもの、どれもさわやかでみずみずしくて。「どうでしょう か」とおずおずとたずねる小山さんに「どれも素晴らしいですね、きっと弊店のお客 様に喜んでいただけると思います」それは確信でした。このときほどお客様に見てい ただく前に確信できたのは初めてでした。帰路、確かな手ごたえに胸躍りました。
 1998年9月13日、「織りふたたびー小山憲市個展」の会場に小山さんが来て くださいました。翌日までの二日間、次々にお越しくださるお客様、人柄に心打たれ 作品に心動かされ、お好みにあったきものをお選びになるお客様、何人ものお客様が 一緒になって、お客様どうしがお互いに似合いのきものを選びあう、そんな光景はか つてなかったことでした。「うれしいです。こんなふうにお客様が私のきものを気に 入ってくださって」。「是非また神戸にお越しください。」というたくさんのお客様 の声に送られて上田に帰られました。翌々年の2月には「丸太やオリジナルコレク ション・コンサート」として織で初めて音楽がモチーフの着物と帯「織路成(オリジ ナル)」を作っていただき二度目の個展を開いていただきました。最初の個展で小山 さんの着物をお作り頂いたお客様が小山さんに着物姿を見ていただこうと小山さんの 着物をお召くださってお越しくださいました。「うれしいですね。こんな風に自分が 作った着物を着ておられるのを見ることはほとんどないですから。とても勉強になり ます。」一昨年の10月には小山さんが上田紬の古布の風合いを復元したいと手引き 真綿の糸作りから取り組まれた紬を発表していただいた「祈りと回帰」を開催。初個 展からそのたびにご来場くださるお客様も多数おられるのですが回を重ねるごとに新 たな境地を展開される小山さんの創造力に皆さん感動されるのです。
 昨年8月、上田への五度目の訪問、いつも一緒におうかがいする娘と息子が小山さ んに親しみを感じているのか色々おしゃべりするのを楽しそうに耳をかたむけてくだ さる小山さん、「今日は萌ちゃんと弦くんのお話が聞けて良かったね」と奥様と交わ される笑顔がとてもさわやかでした。帰りの車中、「子供たちと小山さんが楽しそう におしゃべりしていたから肝心の作品を見せていただく時間がなくなってしまった ね」「それは店でのお楽しみ、きっと素敵な着物と帯をお客様に見ていただける よ」。3月1日(土)から9日(日)まで開かれる「小山憲市―織個展」、1日 (土)、2日(日)の二日間、小山さんが弊店にお越しくださいます。初めてのお客 様には出会いのとき、何度目かのお客様には再会のとき、小山さんもそのときを心待 ちしておられることでしょう。