第三章  元 町

 戦前、「丸太屋」は、有馬道で三店舗をかまえる大店(おおだな)でしたが、太平洋戦争末期、アメリカ軍の爆撃による、神戸大空襲で、店舗、家屋、のすべてを焼失しました。その後、家族は、龍野の親類に疎開しました。戦後、神戸に帰り、昭和21年、高架下の闇市で、商売を再開しました。「右から左に、何でも、飛ぶように売れた」、と母は、当時を振り返って、楽しそうに聞かせてくれました。戦後のドサクサが、ようやく落ち着いてきた、昭和23年、穴門筋商店街に出店しました。現在の店舗の、すぐ横手です。
 「丸太屋」は、戦前、父の男兄弟が、一緒に商売をしていましたが、戦後は、それぞれが独立して商売を再開しました。父は、店名を、「丸太や」、と名付け、昭和25年1月2日、「株式会社 丸太や」、として登記しました。昭和25年1月は、奇しくも、私の誕生月です。その月に、私が生まれることは、予測されていたことだったでしょうから、父が、同じ月に、「株式会社 丸太や」、として出発することを決めたことに、私は、父の決意を感じます。そして、昭和29年に、父は、現在地に、「丸太や」を出店しました。歴史と伝統を誇る、神戸元町商店街。元町商店街に出店することは、神戸で商売に携わる父にとって、大きな目標であり、また願望であったでしょう。父は、「元町に店を出せたら、家族全員、一生、食いはぐれることは無い」、と母に語っていたそうです。


穴門筋の店舗

現在地への出店