コ レ ク タ ー
 世の中に二種類の人種が存在するようです。レンタル族とコレクター族。私は、というと根っからのコレクター族で、たとえば映画、レンタル店で借りて見れば済むものを、昔はレーザーディスク、今はDVDをなけなしの金をはたいて買って見ています。どうしてかというと、名画であればあるだけ、見たときの感動も一緒に手元に残しておきたい、というのはちょっと格好良すぎますが、実のところ、所有欲という蜜のように甘い誘惑にからっきし弱いのです。でも、コレクター族がいてくれるからモノが売れるわけで、レンタル族ばかりだったら商売アガッタリ、です。 どうか皆様もコレクター族でありますように。


小 売 屋
 その昔「大きいことはいいことだ」というコマーシャルが一世を風靡し、誰もが妙に納得しましたが、大きい小さいは量の違いで、良い悪いという質の違いではありません。小さいけれど、小さいからこそいいことも世の中にはいっぱいあって、戦後の高度成長の口火を切ったのがトランジスタ技術であったことを思い起こせば自明です。弊店は業種としては小売業に属しますが小売業といってもピンキリで大売業といったほうが適切なお店もたくさんあります。弊店などはさしずめ零細小売業ですが大売屋には出来ない小売屋ならではの商売が出来るのではないか。お客様にとって小さいことの利点、美点が一杯ある小売屋を目指します。


夏 か ら 秋 へ
 こどもの頃、つくつくほうしが鳴きだすと、もうすぐ夏休みが終わるんだ、というさみさと、まだ宿題が済んでいない、という焦りと、そのふたつがないまぜになった気持ちになったものです。そしてふと気がつくと、こおろぎや鈴虫の鳴き声が聞こえ始め、秋になったことを知りました。ところが最近、以前のようにつくつくほうしやこおろぎ、鈴虫の鳴き声を聞かなくなりました。いつの間に少なくなったか、いなくなったのか。
 その昔、どこにでもあった当たり前のことが、気がつくとどんどん消えてしまっている。思いやる、とか譲るとか、周りへの心配り。まさに傍若無人、傍らに人無きが如し。自分のことしか考えない、自分さえ良ければあとのことはどうなろうとお構いなし。それでは生きていけない、ということを人生は教えてくれるのですが。


充 電 と 放 電
 それほど長くない人生ですが振り返ると充電期間と放電期間が互い違いに訪れるようです。震災後、それまでまったく係わってこなかった商店街の理事に就任し、それから十一年間、我ながら商店街活動に全力投球してきました。その間、時間も労力も目一杯使ったおかげで(商売はおろそかにしてきませんでした)気がつくと心の中は空っぽ状態で、今回、商店街の仕事から離れることにしました。自分の時間を大切に、しばらく手にしていなかった本も取り出して読み始めています。目下、中央公論社刊「日本の歴史」を第一巻から再読しています。商店街活動の火花を散らす放電が終わって自己啓発の炎を灯す充電を始めました。