一 寸 先 は 光
 一月十七日未明、神戸を襲った大震災を一体誰が予測したでしょう。まさか神戸に地震が起きるなんて、と誰もが夢想だにしていませんでした。「一寸先は闇」という現実の恐ろしさをあの時ほど思い知らされたことはありません。あれから十年目を迎えますが「一寸先は闇」という状況はいつ何時誰を襲うか知れません。まさに薄氷を踏む思いがします。しかし「一寸先は光」かもしれない。それもまた誰も予想できないのです。「一寸先に光」があることに希望を託します。


枯 れ 木 も 山 の 賑 わ い
 庭に一本、もみじの木がありました。決して枝振りが立派というわけではなく、むしろ貧相といっていい木でしたがさすがにもみじで晩秋になると紅葉して庭に彩りをそえてくれました。ところが去年の春、新芽が出て葉っぱが茂っていたのに夏になる頃全部落ちてしまいました。今年、少し期待して待っていましたがもう新芽も出ません。木としての命を終えたのでしょう。枯れ木になったもみじを見て植木屋さんに庭の手入れをしてもらう時に切り倒してもらおう、という考えが頭の隅をよぎりました。とその時「枯れ木も山の賑わい」というコトバが浮かんだのです。「枯れ木も山の賑わい」ナントイウ優しいコトバダロウ。葉も茂らなくなって木としての用をなさなくなった無用の枯れ木、しかし枯れ木もあって山は表情が豊かになる。「枯れ木も山の賑わい」というコトバのなかに「無用の用」という先人の深い知恵を感じました。


台 風
 去る五月二十日開催された「元町百三十年記念式典」の当日、今年最初の台風が上陸しました。以来、次々に台風が上陸し既に史上最多を超えたそうです。とりわけ八月三十日の十六号、九月七日の十八号は兵庫県下にも多大な被害をもたらしました。 被害を蒙られました方々には心よりお見舞い申しあげます。
 相次ぐ十六号、十八号の台風の塩害で農家では作物の被害が甚大であったと聞き及んでいますが近隣の庭木、街路樹も葉が枯れて痛々しい状態になっていました。ところがここにきて急にみずみずしい若葉が萌え出したのです。木の命を守る為に。木の生命力に心打たれます。我々人間もヘコタレナイデがんばりましょう。


新 春
 春でもないのに新年を迎えるとき人は「新春」とも「初春」とも呼びます。一年という時は誰にとっても良いことばかり続くほど短くはありません。長い間には苦しいこと、悲しいことがいろいろ起きてくる。だから人は新年を春を待つ心で迎えるのでしょう。平成十六年は多くの人にとって大変な一年でした。新しい年が穏やかな年であることを願わずにおれません。

何となく、
今年はよい事あるごとし。
元旦の朝晴れて風無し。
石川啄木