卒 業 式
 四度あった自分の卒業式で涙を流した記憶はありません。 定休日が重なって出席した息子の中学の卒業式で何度か涙が頬を伝いました。 たいして親らしいことはしてやれないのに無事義務教育を終えることができたのは先生、 級友をはじめとしてたくさんの人が息子を見守り導いて下さったお蔭なのだ、 という思いがこみあげてきたのです。 自分自身が学校を卒業した頃は生意気にひとりで大きくなった気でいたのですが人並みに経験を積んで家族、 友人、その他数え切れない人達に励まされ支えられて生きていることに気がつくようになりました。 「お父さん、今日は卒業式に来てくれてありがとう」息子は気づいているのだろうか、 人生でいちばん大切なものに。


先 人 の 知 恵
 「情(なさ)けは他人(ひと)の為ならず」というコトワザがものの見事に逆転して解釈され、 まことしやかに吹聴される時代「他人に情をかけることはその人を甘やかすことになるからその人の為にならない。安易に他人に情をかけるものではない」という誤った解釈ではなく、 コトワザ本来が正しく意味するところ「他人の為に心を盡くすことは翻って自分の為になるものです。 他人に優しい人は他人からも優しくされるものです」ということを実感することが多々あります。 コトワザという先人の知恵は「言い得て妙」というほかありません。


心 の 眼
 時田直也さんは生まれながらに未熟児網膜症でものを視ることができません。全盲であることでこれまでどれほど苦労を重ねられたことでしょう。なのになぜその人柄は生きる力、生きる喜びにあふれているのでしょう、その歌声はあれほどに私達を慰め励ましてくれるのでしょう。「艱難汝を珠にする」まさにはかり知れない労苦が時田さんの人間性と音楽性を珠玉のように磨きあげたのでしょう。ひるがえって、取るにたらない些細な苦労にも音を上げて愚痴をこぼしている自分が情けなくも恥ずかしくもありますが、時田さんとの出会いをいただいて心の眼で視ることの大切さ、人と人とが支えあうことの大切さに気づかせていただいたことを有難く思います。


冬 来 り な ば 春 遠 か ら じ
 不安を語る人の多い時代、希望を語るのはとても難しいことかもしれません。しかし「冬来りなば春遠からじ」という格言はまぎれもない事実であり、また真実でもあります。まさに冬の時代、その厳しさはいつはてるともない不安に人をかりたてます。でもいつかきっと春は訪れるでしょう。ある日突然、まるで奇跡のように柳の木々に色鮮やかな新芽が吹き出るのです。