お 世 話
 七〇歳くらいの男性が「人形の下に敷く座蒲団ありますか」とたずねてこられたのですが、残念ながら置いてありませんとお断りして元町通五丁目の栄屋さんという人形材料店をご紹介したのですが、後日「お陰様で思った通りの座蒲団がみつかりました。ありがとうございます」と丁重にお礼をのべに来てくださいました。少しは他人様のお役に立てたかな、と気持ちが晴れやかになったのですが我身を振り返ると、日々たくさんの方々にお世話になりながら雑事にかまけて感謝の気持ちを充分にお伝えできずにいることに思い当たりました。
 お世話になっていることすら気付かずに過ごしていることもあるでしょう。灯台もと暗し。足元にはナカナカ目が届かないものです。


固 い 話
 さるお寺のご住職さまから「美味しくないよ」という言葉を添えて京都の音羽屋「松風」というお菓子を頂きました。早速賞味をと口に入れてあんぐり、ロール状のカステラという外見を裏切る固さに思わず笑ってしまって危うく顎をはずしそうになりました。その昔「イワオコシ」という岩のように固い歯が折れそうなお菓子とか、歯ぐきから血が出るリンゴとか、歯応えのあるものが少なからずありました。昨今なんでもかんでも柔らかくなって、骨のあるヤツはドコダ。くだんのお菓子もしっかり噛んでみるとジワーッと口の中に自ずからなる甘さが広がって今風ではない美味しさが貴重です。ひとこと娘は「クセになりそう」


 学生のとき始めたチェロをかれこれ三十年弾き続けています。最初の十年間は先生について習っていたのですが結婚の前後からなんとなくレッスンを受けなくなりました。最近どう考えても自分の奏法はおかしいのではないかと気になりだして基礎からしっかりやり直そうと縁あってある先生を紹介していただくことになりました。まだ再開したばかりですが教えていただくことの大切さを痛感しています。かの偉大な論語も「学びて時に之を習う、亦た説ばしからず乎」という孔子の言葉をもって始まります。師について学ぶこと、それは道を誤またない為に一番大事なことなのでしょう。


神 鳴
 地震、雷、火事、親父、昔の人はうまく言ったものです。コワイ親父はとっくにお蔵入りですが、地震と火事の恐ろしさは六年前イヤという程思い知らされました。あの時から微妙に自分の中で変わったものがあって、震災前は「万が一」は「万が九千九百九十九無い」とタカをくくっていたのが「万が一有る」、「マサカ」が「モシカスルト」我身にふりかかる。雷も震災前だったら天然花火。ところがドッコイまさに神鳴(かみなり)、神様の怒りの鉄槌(いかづち)が頭上にドーンと落ちてきそうでコワイ、コワイ。情けない程臆病になりました。ありとあらゆる災難が待ち受ける世の中、親子五人つつがなく暮らせていることが本当に有難い今日この頃です。