普 段 着
 手前味噌ですが近頃きものをお洒落で楽しむ若い方が増えています。それも礼装ではなく普段着。留袖、振り袖、訪問着ではなくて小紋や紬。やっぱり少しづつですが日本も豊かになってきたんだ。他人のためではなく自分のために。見栄や体裁ではない確かな手応え。借りものではない自分探し。つかの間の晴れの日よりも静かに積み重なってゆく日々の暮らしを大切にしたい。そういう生き方を選ぶ若い人達が増えている、ということだと思います。足元をしっかり見つめる眼、自分自身の感性で誤またず選別する判断力。きものが選ばれることの意義は日本の未来にとって小さくないものがあると思います。


手 作 り 作 品 展
 夏の終りに「手作り作品展」を開いて9回目になります。布が素材ならなんでも、と持ちよっていただいた手作りの品々を会場に展示し終わってホッと見渡していつも感じるのはなんともいえない和やさかです。声高く自己主張したり買って欲し気に媚びを売るものはひとつとなく、どれもどれも作ることが楽しく唯それだけでコツコツと作り続けられたものばかりです。あるとすれば可愛いい孫に着せてやりたい、とか親しい知人に使ってもらいたい、という思いだけ。売るためであったとして商品もかくあって欲しいと思います。


真 空 管
 真空管を御存知ですか。その昔ラジオ、テレビ、ステレオに組みこまれていた音を鳴らすための部品。トランジスタの出現で利便性、経済性に劣る真空管(大きくて、壊れやすくて、発熱して、電気代が高くつく)はいつの間にか市場から姿を消しました。しかし真空管ならではのふくよかな音、スイッチを入れるとガラス管に灯りがともる独特の雰囲気、を愛してやまないごく一部のマニアに使い続けられてきました。ところが今なぜか真空管が静かなブームなのです。ノスタルジー、それとも未知の魅力。でもどこかきものと似ていませんか。


当 た り 前 の こ と 
 音楽仲間のTさんから「息子の通っている小学校でいっしょにに演奏してもらえませんか」という話がありました。音楽の先生が子ども達に弦楽器の音を聞かせたい、とのことで授業のなかで弦楽四重奏を何曲か演奏したのですが弾き終わって先生が「みなさんどうでしたか」とたずねたらまっさきに手を上げた生徒が「ふつう」と答えました。たしかにとりたてて上手なわけではなく、といって下手でもない私達の演奏ですからナルホド当たり、と納得してしまいました。続いていくつか質問や感想があったのですがどれも思ったこと感じたことが素直に表現されていて感心させられました。コトバに濁りや飾りや嘘がなくて、コトバがココロを伝える道具であるという当たり前のことに妙に感動したのです。