ふ た つ の 命
 ゆったりとしたる時間や春の雪

 句集「春の雪」は俳号岬魚比古、本名熊野宗次氏の遺作である。生涯精神科医として医療に従事された氏は、最後まで句作を続けられました。日常のなにげない事象のなかに自然や生命の輝きを発見し十七文字に凝縮する。平明な言葉の背後に人間の内奥を視つめる精神科医の真摯な眼光があります。全うされたその人生は熊野宗次、岬魚比古、ふたつの命を生きたと言えるのではないでしょうか。


色  合  わ  せ
 色の話を聞きました。
 色彩コーディネーターを講師に招いてセミナーがありました。日常の生活空間のなかでときに居心地の良さを感じたり、またどこか落ち着かない思いをすることがあります。その理由は調和した色の体系に基づいた配色がなされているかどうかにかかっている。たとえば自然に在るものは植物も動物もすべて誤りなくその体系にのっとった配色がなされています。一方、人工的な配色は間違った色の使い方をしてケバケバしたりドギツかったりする。
 だから色の感覚を磨くためには自然の生態を丁寧に見ることだ、と色彩コーディネーターは教えてくださいました。そのことを理屈ではなく感覚で知っていた平安貴族の女性は十二単の重色を自然の配色の中に探しました。藤重という色合わせは藤の花びら、花芯、葉、茎のそれぞれの色を取り合わせたそうです。自然から遠のくにつれ色彩感覚を失っているのかもしれません。


余    島
 小豆島のはずれに余島という小さな島があります。毎年のようにその島の施設で夏の休暇を過ごしていました。何もないほんとうに小さな島なのですることもなく浜辺に座ってぼおっとしていました。ふと「空は青いんだ」と気がついたのです。普段はゆっくりと空を見上げることなんかないことだから。次第に暮れなずんでゆく空は、海は、山は刻々とその色を変え、対岸の屋島、五剣山がシルエットに浮かびとても綺麗でした。
 寅さんはいつもこんな風景を見ているんだ、と唐突に想いました。フーテンの寅さんは所謂豊かさ、財産、社会的地位には無縁だけれど心の贅沢を誰よりも知っていたのではないか。身すぎ世すぎにあくせくして空の青いことすら忘れてしまう日々の暮らしの繰り返しからたまには離れることが必要ではないか、と痛切に感じました。
 旅はいつの時代も「目覚むる心地」がします。


空  き  地
 自宅の隣家が震災で全壊となり取り壊して更地になりました。フェンスで囲われた空き地に心ない人がゴミを捨てるようになり、それを見た子供が「フェンスに花が咲いたらポイ捨てする気にならなくなるかもしれないね」と朝顔と風船かずらの種をまきました。毎朝水をかかさずにしていると夏に花が咲き実がなりました。秋も深くなった十月の中頃朝顔につぼみがつきはじめたのです。可愛そうに咲くこともなく、と見ていたらつぎつぎに花開き十一月になっても咲き続けました。道行く人も思わず「今ごろ朝顔が」と振り返って行きます。「朝顔につるべとられてもらい水」の心根を子供に教わりました。