40年前、私が「丸太や」に入社し呉服屋になった頃、お客様にお薦めする帯のほとんどは「紫紘」と「川島」でした。それぞれの標章(ロゴマーク)である「紫紘」の「源氏香」、「川島」の「軍配」は、「丸太や」が自信をもって販売する帯の象徴(シンボルマーク)でもありました。「紫紘」と「川島」の帯が主力であったのは、振袖、留袖、訪問着などのフォーマル着物が主流であったからに他なりません。当時、お客様は必ずしも、なにげなく、さりげなく着物をお召しになられたのではありません。結婚式、成人式、卒業式、入学式、授賞式、初宮参り、七五三参りなどなど、事あらたまった式服としてお召しになられたのです。
 しかし、いつの頃からか、何でもない機会、歌舞伎や文楽、オペラやコンサートの鑑賞、同窓会、食事会のような、全くの普段ではないけれど、日常の生活から少し華やいだ機会に着物を楽しんでお召しになるようになられたのです。「式服」ではなく「会服」として着物をお召しになるようになったのです。すると自ずと、オシャレで軽やかな着物や帯が求められるようになり、付下や小紋、紬の着物、綴や名古屋、染の帯が人気になり、「紫紘」の帯をご紹介することが少なくなってしまいました。
 この度、「王朝の雅 帯の紫紘」を開催いたします趣意は、平安京以来、長く王城の地として日本の文化の中心であった京都が生み出した「西陣織」の精華をぜひご覧いただきたいという一念であります。平城京から平安京に遷都された後、貴族の衣裳を製織する織部司が設けられて以来、京都はいつの時代にあっても最高級の織物を生み出し続けてまいりました。明治以降、西洋伝来の最新の織機を導入し、世界に誇る精緻極まりない「西陣織」を生み出してきたのです。
 「紫紘株式会社」は山口伊太郎氏が創業された「西陣織」の織元です。山口伊太郎氏は15歳の時から「西陣織」の製作に携り、平成19年、享年105歳で逝去されるまで精魂こめて織物製作を続けられました。「西陣織」の織元として、図案の美しさ、技術の確かさで高い評価を受けてこられましたが、昭和45年、70歳を機に、「源氏物語絵巻」を「西陣織」で創作されることに着手され、死の直前まで自ら製作に携られ、翌平成20年に「源氏物語錦織絵巻」全四巻の完成をみたのです。
 山口伊太郎氏が「源氏物語絵巻」を「西陣織」で表現しようと決意されたのは、「西陣織」の最高の技をもって、日本の絵画史上、燦然と輝く「源氏物語絵巻」を再現し、後世に遺し伝えたいという思いであったでしょう。古今東西、ありとあらゆる文芸作品の中で、傑出して稀有な大傑作である「源氏物語」、その絵画的表現である「源氏物語絵巻」の中に余すところなく描かれた「王朝の雅」にこそ、山口伊太郎氏が「西陣織」で求め続けた「至高の美」があったのでしょう。山口伊太郎氏が生涯をかけて追い求めた「王朝の雅」は、文化の時代、平和な時代であったればこそ生まれました。今という時代もまた、文化が尊ばれ、平和が保たれることが、何より大切なのです。