| 「歴史」は在るものではなく創られるものです。「過去」は唯、「時の経過」にしか過ぎません。人が「過去」を振り返り、過ぎ去った「時の経過」に、意味を探り、意義を見出す時、「歴史」が生まれるのです。では、なぜ人は「過去」を振り返るのか。それは「現在」を生きていく中で「未来」を見通そうとするから。「現在」は「点」に過ぎず、「点」の先に「線」として延びてゆく「未来」を見通そうとする時、「線」として「現在」につながる「過去」の「時の経過」に、「未来」を見通す鍵を見つけようとするから。「過去」を見る、とは、すなわち「未来」を見る、ことなのです。 人は、いつの時代にあっても「未来」への不安におののきながら「現在」を生きています。「これからどうなるのだろう」。その時、人は「これまでどうだったのだろう」と振り返る。自分の「過去」を、家の「過去」を、国の「過去」を振り返る。「過去」を振り返った時、人は、「現在」直面している様々な課題と変わらない課題を「過去」の人もまた直面してきたことを知ります。その難題を「過去」の人がどう対処し、失敗し、克服してきたかを。「過去」を鏡に「現在」を見、「未来」を見通そうとする。そこに「歴史」は生まれます。 「歴史」は人類の歴史とともに創られてきました。日本でも、残された最初の「歴史」として「日本書紀」「古事記」が創られました。平安時代から鎌倉時代にかけて創られた「歴史」は「大鏡」「増鏡」「今鏡」と名付けられました。「鏡」と名付けたのは、「過去」を鏡に「現在」を見、「未来」を見通すことが「歴史」だと考えたからでしょう。 高だか34年の呉服屋人生でも実に色々なことがありました。世間も、業界も激変しました。ついこの間のことが夢のように思えます。この34年間の世の中の変わりようを見てくると、この先、どう世の中が変わっていくのか、想像もつきません。しかし、10年後、20年後、否、100年後も「丸太や」が呉服屋として生き延びていくためには、10年後、20年後、100年後の呉服屋としての「丸太や」のあるべき姿を描かねばなりません。そのためには、これから社会が、商売がどう変わっていくのかを多少でも予見しておかねばなりません。 「歴史」を読むと、今と昔が随分違ったところと、余り変わらなかった、というか、ほとんど変わらないところと、両方あることに気付きます。例えば、人間は、その性格や能力は今も昔もほとんど変わっていない。しかし、そのおなじ人間が構成する社会は大きく変わってきた。商売の在り様も変わった。ということは、10年後、20年後、100年後もまた、人間は変わらないけれど社会は変わる、商売は変わる。「未来」の商売を予見するために、「過去」の商売を振り返ってみよう。「過去」の商売を鑑(かがみ)に「未来」の商売を考える「商鑑(あきないかがみ)」、始まり始まり。 |