は じ め に
 生来、歴史が好きでした。物心がつき始めた頃、源義経や為朝など歴史上の英雄を描いた絵本に胸躍らせました。鎧兜に身を固め、紅白の幟はためく戦場での勇姿。小学校の高学年で暗証した歴史年表、仏教伝来はホットケホットケ、ゴミヤサン(仏仏538年)、鎌倉幕府開設はヨリトモハ、イチイチクニヲシハイスル(頼朝1192年)、明治元年はイヤーロッパクン、メイジダヨ(1868年明治)、などなど今でも忘れていません。中学校の歴史の教科書を丸暗記して先生や級友を驚かせたこともありました。高校生になってからは日本の伝統文化に興味を持ち、奈良や京都の神社仏閣や美術館を巡りました。将来は家業の呉服屋を継ぐ、という思いもどこかにあったのでしょう。早稲田大学第一文学部を志願したのも専攻に美術史があったからです。
 1970年の入学当時、早稲田大学は学園紛争の真っ只中にあり、社会体制や思想信条について激しい論戦が繰り広げられていました。そのような状況下で読んだ丸山真男の「日本政治思想史研究」はかつてない衝撃を受けました。封建社会(江戸幕藩体制)から近代国家(明治新政府)へ、なぜ日本が移行できたのか、を江戸時代の思想家の学説の中から近代的思想の萌芽を跡付けていく著述に感動したのです。思想が社会を動かす原動力足りうる、ということに。教養課程から専攻課程に進むにあたって、当初の美術史から日本史へ志望を変えました。
 その当時、早稲田大学日本史学科には、古代史の水野祐先生、中世史の竹内理三先生、近代史の鹿野政直先生など錚々たる教授陣が教壇に立っておられました。級友にも優秀な生徒が沢山いて大いに刺激を受け、触発されました。心の片隅に研究者の道を歩みたい、という思いがありましたが、先生や級友の能力や勤勉さに比べて、我器にあらず、と思い知りました。大学での勉強の成果である卒論には江戸時代の儒学者「伊藤仁斎」をテーマに取り組みました。丸山真男の「日本政治思想史研究」で深く興味を持ったからです。
 日本史学科で何を学んだのか、歴史を研究することは何よりまず史料を読み解くこと、誰かの学説の上に自論を展開するのではなく自ら原資料に当たること、でした。しかし「伊藤仁斎」を卒論のテーマに決めて、1年や2年でそれをなすことは至難です。卒論を指導してくださった近世史の上杉允彦先生は最初の口頭試問で、なぜ「伊藤仁斎」をテーマに選んだのかを問われ「江戸幕藩体制のピラミッド構造は」と答えかけると、「ピラミッド構造とはどういう構造ですか」と切り替えされ、たちまち返答に窮しました。その後、上杉允彦先生の授業で江戸時代の古文書を読み解いたとき、農民が一揆に立ち上がったくだりを読んで、目の前の出来事のように感じられて、歴史を読む、とはこういうことなんだ、と納得しました。しかし卒論を書く時間は限られています。「伊藤仁斎」を自分なりに読み解くためには、こういう史料を読んで、こう調べて、という進め方が見えるようになったところで終わってしまいました。やっと入り口が見えたばかりでした。卒論を提出後の口頭試問で上杉允彦先生は「これが三木君の研究の始まりです。一生、研究を続けてください」と最後におっしゃってくださいました。