第二章  商 売

 母は、根っからの、商売人でした。実家が、乾物屋、という商家だったこともあったのでしょう。年端も行かない内に、結婚することは不本意だったかもしれませんが、商売をすることは、嫌なことでも、出来ないことでもなかった。結婚して、すぐに売り場に立っていました。母が、商売が好きだったのは、母、自身が、買い物が好きだったからでしょう。といって、贅沢、とは縁遠かった。しかし、悋気、すなわち、シブチン、ではなかった。母にとって、買い物は、値打ちのあるものの発見だった。それが、食べるものであれ、着るものであれ、住むためのものであれ。値打ちがある、と判断したら、思い切りは、良かった。だから、売る側に立っても、値打ちがある、と見込んだ商品は、一生懸命、お客様に、お薦めした。母の口癖は、「お客様をダマスような商売をしたら、アカン」。母にとって、商売で「お客様をダマス」、とは、値打ちの無いものを、薦める、売る、ということでした。値打ちが、有るか、無いか、それを見分けるのが、商売人の仕事だ、醍醐味だ、生きがいだ。
 幼い頃の私に、母の想い出は、余り残っていません。母は、いつも、家に居なかった。父と一緒に、毎日、店に出て商売をしていたからです。家には、中田数子さん、というお手伝いさんがおられました。私が、物心付いたころには、すでに、中田数子さんは家におられた。私は、中田数子さんを、カズちゃん、カズちゃん、と呼んで、心から慕っていました。私の世話を、いつも、カズちゃんがしてくださったからです。小学校のお弁当は、毎日、カズちゃんが作ってくださいました。私は、そのお弁当が自慢だった。ご飯には、上に、細かく切られた卵焼きが載っていて、ご飯とご飯の間に、海苔がはさまれていて、二層になっていた。学校から帰ると、「カズちゃん、ただ今」、と声を掛けました。その頃、左幸子さんが主演した、「女中っ子」、という映画を見て、私自身、女中っ子だ、と思いました。母は、「久雄は、いつも、カズちゃん、カズちゃん、と言うんや」、と寂しそうに語っていたそうです。


新婚早々店舗に立つ母(写真中央右)

創業88周年記念展の会場