桝藏順彦 (ますくらゆきひこ) さんと弊店とのご縁が出来たのは、昨年の十月でした。数年前から、桝藏順彦さんが、弊店に、新作展のご案内を送って下さるようになっていました。しかし、桝藏順彦さんが、どのような方なのか、全く存じ上げず、ただ、いつも丁寧に、作品のプリント写真を数枚同封してくださっていたのです。去年の春ごろから、弊店のお客様のお一人が、気軽に締め易い帯を望まれて、なかなか良い帯が見つからず、以前、桝藏順彦さんから送って下さる帯の写真に、丁度、おめがねに叶いそうな帯があったと思い返して、一度、桝藏順彦さんの新作展を拝見させていただこうと思い立ったのです。
 昨年の十月一日、初めて、桝藏順彦さんの新作展の会場をお訪ねして、名刺をお渡しすると、「丸太やさんですか。勝手に案内状をお送りして、大変失礼いたしました。信州上田の小山憲市さんから、丸太やさんのお話を聞かせていただいておりましたので、ご案内をさせていただいたのです」、とご挨拶されました。そうなんだ、それで、桝藏順彦さんからご案内が送られてきていたのだ。知らないうちに、見えない糸で、結ばれていたのだ、と気付きました。 
 桝藏順彦さんは、激しい方です、厳しい方です。その激しさ、厳しさに、しばし圧倒されます。桝藏順彦さんの口から、しばしば、激しい、厳しい言葉が、ほとばしるように発せられる。私は、桝藏順彦さんの言葉を耳にしながら、その激しさは、厳しさは、「ものづくり」の激しさ、厳しさ、そのものなのだろう、と想像します。私は、過去に、何人かの染織作家の方々とご縁を頂戴しました。皆さん、それぞれの個性をお持ちです。柔和な方、実直な方、豪放な方、繊細な方。しかし、皆さん、必ず、個性の背後に、激しさ、厳しさを秘めておられる。「ものづくり」の激しさ、厳しさを。
 桝藏順彦さんは、「ものづくり」の激しさ、厳しさを、包み隠さず、表に出される。しかし、桝藏順彦さんの、激しい、厳しい「ものづくり」から生まれた作品の、何と穏やかなこと、優しいこと、愛らしいこと。柔和で、優美で、繊細を極める作品の背後に、しかし厳然としてある強靭さこそ、作品の完成度を保障するのでしょう。着物は着用されてこその着物です。着用という実用に耐えなければならないのです。実用の激しさ、厳しさに耐え抜くためには、「ものづくり」は、決して、穏やかでも、優しくも、愛らしくもないのです。
 今、日本の「ものづくり」は、もしかしたら衰微しつつあるのかもしれません。その拠って来る由縁は、激しさから、厳しさからの逃避、拒否、にある、と私には思えます。社会全体が、ぬるま湯状態に安閑としている。桝藏順彦さんの、激しさ、厳しさ、は私にとっても、試金石なのです。