第八章  復興

 震災で壊滅的な打撃を受けた神戸の街、しかし、被災地にも春は訪れます。4月になって、瓦礫のなかに桜の花が咲きました。灰色になった街に、桜が花開いた時、私達の心にも、復興への意欲が湧き上がってきました。夏が過ぎ、秋を迎えると、街は少しずつ落ち着きを取り戻し、復興への槌音は力強さを増していきました。そうだ、震災で途絶えてしまった神戸元町の「丸太や」での「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の新作発表をやろう。
 京都岡崎で発表会を開催した時、会場でミニコンサートを開いてくださった音楽仲間が「こんなコンサート、楽しいね。お店で毎日、できたらいいね。」と言ってくれました。その言葉が忘れられなくて、心に残っていました。そんなふうに楽しんでもらえたのだったら、神戸元町の「丸太や」での発表会は、店内でコンサートを開こう。元町で、1週間、毎日、コンサートを開く。だったら「Motomachi Music Week」。10月8日から15日まで連日、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の新作発表と「Motomachi Music Week」と名付けたコンサートを開催いたしました。
 「Motomachi Music Week」というタイトルを思いつたのは、私のなかに、秘めやかな夢が、ずっと、ずっと、あったからです。音楽が、もっと、もっと、身近にあればいいな、という。路傍に、人知れず咲く花のように、音楽が、さりげなく、なにげなく、鳴り響く。ふと、足を止めると、聞こえてくる楽の音。心が和み、心の輪が広がる。「Motomachi Music Week」。日々の暮らしのなかに、さりげなくあって、日々の暮らしを、いくらかでも豊かにする、それは大切な「くらし文化」ではないか。もっともらしく、大層な、声高な「まつり文化」ではなく。
 震災の数年前、神戸元町商店街を歩いていて、「アマデウス」という看板が眼に止まりました。きっと、オーナーがモーツァルトの大好きな喫茶店だろう、とドアを開けると、やっぱりモーツァルト、店内にはモーツァルトのレコードや本が、所狭しと並べられています。ピアノが置かれていて、側の柱に「モーツァルトを演奏してくださったお客様にはケーキセットをプレゼント」と貼り紙がしてあって、じゃあ、その頃、組んでいた弦楽四重奏でモーツァルトを演奏しよう、と思いついて、それから、年に1回、サロンコンサートに出演するようになりました。
 「アマデウス」のサロンコンサートをはじめ、神戸元町商店街には、「ヤマハ神戸店」、「神戸月堂」、など、コンサートが度々開かれるホールがあり、ライブをするジャズ喫茶、とか、パイプオルガンが置かれた結婚式場、とか、コンサートが開ける場所がたくさんあります。いつか、「丸太や」で開くコンサートと一緒に、神戸元町商店街のあちこちで、楽しいコンサートが開けたらいいな、と考えて「丸太や」のコンサートを「Motomachi Music Week」と名付けました。
 震災後、私は元町1番街商店街振興組合の理事に就任しましたが、私の元町ミュージックウィーク構想を理事長にお話すると、「いいですね。理事会で提案してください。」と賛同してくださいました。しかし、理事会では「なんで音楽や」とか「クラシックで人が来るか」と反対意見が多く、採り上げていただけませんでした。しかし、私は、諦めないで事あるごとに、色々な方に元町ミュージックウィーク構想をお話しました。なかでも、神戸海文堂書店の社長であった島田誠さんには一生懸命お話しました。芸術全般に広範な理解を持ち、様々な支援活動を実践されておられ、ご自身、音楽を深く愛好されていて「神戸モーツァルトクラブ」の会長もなさっておられました。神戸元町商店街で、この方を置いて、ほかに理解者はおられない、と意気込んで元町ミュージックウィーク構想をお話しました。ところが、「商店街は物を売るところで文化はなじまないよ。それにお金はどうするんですか。」という悲観的な見解を述べられたのです。
 その島田誠さんが、数ヵ月後、「元町地域の街づくり協議会の総会が6月に開かれます。その後の懇親会の席で、三木さんの演奏を交えて、元町ミュージックウィーク構想を提案されませんか。」と声を掛けてくださったのです。それが端緒となり、平成10年1月、元町ミュージックウィーク実行委員会が組織され、10月16日、「第1回 元町ミュージックウィーク」が開催されました。それから、毎年、10月に開催され、回を重ねるごとに内容が充実し、元町のみならず、神戸を代表する音楽文化事業として高い評価を頂き、広く市民に愛され、定着してまいりました。
 DREAMS COME TRUE、夢がかなったのです。
「第1回Motomachi Music Week」
(現在は丸太やフレンドリーコンサート)
1996年6月 「みなと元町タウン協議会懇親会」