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冬のたより
 
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 平成十六年、年の瀬もいよいよ押し迫った十二月二十八日、思いがけないお電話を頂戴しました。かつて神戸新聞社会部記者として活躍された西脇創一さんから「家内の父親の蔵書だった染織図録を引き取ってもらえないですか」というお申し出です。義父の榊原末夫さんは着物の図案家で千総の友禅も手がけておられました。現在九十二歳で現役を退かれ、資料として所蔵されていた染織図録を誰か有効に活用いただける方に差し上げたいとのこと。西脇さんがそれではと弊店に声を掛けてくださったのです。

 翌二十九日夜、早速に神戸市西区学園西町の西脇さん宅にお預かりに参りました。道すがら車の中であらためて西脇さんとの深いご縁を思い返しました。最初に西脇さんとお会いしたのは昭和六十年、阪神タイガースが優勝したあの年の秋、弊店で草木染の会を開いたときのことです。その頃、長女がまだ幼くて夫婦で家を空けることが出来ず自宅に作曲家でピアニストの南夏世さんに毎週来ていただいてピアノ三重奏の練習をしていました。当時、南夏世さんは神戸新聞に「街の音学」という連載をされていたのですが、それは街の中で聞こえてくる音信号機とか消防車とか、そういう音が音楽だったらどう聞こえるか、というのをシリーズで紹介する、という内容で南夏世さんから「船の汽笛ってどんな曲が思い浮かぶ?」とか、色々相談されていました。その連載を神戸新聞で担当されていたのが西脇創一さんだったのです。丁度その頃お知り合いになった古代染織研究家の名和野要さんに初めて弊店で草木染の会を開いていただき草木染の実演をしていただくことになり、折角だったらと南夏世さんにお願いして西脇創一さんをご紹介いただいて取材にお越しいただきました。

 初めてお会いした西脇さんは温厚な表情のなかに眼光鋭く事の本質を瞬時に理解する、という風ですが視野がひろく経験が豊富なのでお話がとても弾みました。「家内の父親は着物の図案を描いていて、千総さんの友禅もやっています」とのことで呉服屋に好意を持ってくださってお付き合いをさせていただくようになりました。その後、神戸新聞に在職中からライフワークにされておられた福祉活動を実践されるために神戸新聞を退職され老人ホームの園長や社会福祉の啓蒙活動に取り組まれています。

 弊店はその後名和野要さんに導いていただき「ものづくり」に係わるようになり結果として「丸太やオリジナルコレクションコンサート」が誕生しました。その第一作として名和野要さんが楽器柄の友禅小紋を制作してくださったのですがその図案を描いてくださった榊原六郎さんが西脇創一さんの義父榊原末夫さんの実弟であることが判明したとき、なんと縁とは不思議なもの、まるで輪廻の輪のようにつながっていく、と驚きを禁じえませんでした。榊原六郎さんは「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の図案を描いてくださったあと弊店で日本画の個展を開かれたのですが会場に榊原末夫さんもお越しくださいました。その榊原末夫さんの蔵書を弊店がお預かりすることになったのです。思いがけず西脇さんからお申し出をいただいたとき貴重な資料を弊店がお預かりすることにためらいがないわけではありませんでしたが頂いたご縁を大切にという思いで喜んでお受けすることにいたしました。貴重な蔵書を無駄にしないことが弊店に託された使命だと思っています。
― お預かりした蔵書 ―
『小袖』三一書房
  編集 東京国立博物館 山辺 知行
京都国立博物館 北村 哲郎
染職 工芸家 田畑 喜八
『続小袖』三一書房
  編集 東京国立博物館 山辺 知行
京都国立博物館 北村 哲郎
『日本伝統衣裳』全三巻 講談社
 第一 前田家伝来衣裳
 第二 上杉家伝来衣裳
 第三 毛利家伝来衣裳
  編集 山辺 知行 ・ 西村 兵部 ・ 北村 哲郎
梶山 伸 ・ 神谷 栄子
『プレインカ服飾図録』三一書房
  編集 泉 靖一

 
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一月三日(月)より十六日(日)まで
弊店二階特設会場にて


 年があらたまる、というのは気持ちもあらたまって良いものです。心機一転、去年のことは去年のこと、今年は今年で一からやり直し。どうぞご愛顧のほどよろしくお願い申しあげます。
 平成十七年、丸太やは「新春初絹 襦袢の会」で幕を開けます。真のお洒落は下着から。袖の振りからさりげなくのぞく襦袢の色柄は着姿にえもいえぬ奥ゆかしさ添えるものです。
着物に「よそゆき」があり「普段着」があるように襦袢にも「よそゆき」があり「普段着」があります。着物に合わせて襦袢を選ぶのも着物を着る大きな楽しみのひとつ。「こんなにたくさんの襦袢があるのですか」ときっと驚かれることでしょう。
 会場にはお正月ならではの「お年玉」もご用意いたしております。着物のお好きなお客様にはお喜びいただけるものばかりですのでご来駕の程心よりお願い申しあげます。

 
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一月二十二日(土)より三十日(日)まで
弊店一・二階特設会場
会期中、織匠道長 白数亮(しらすりょう)さんが会場にて織について、親しくご説明くださいます。皆様お誘い合わせの上、ぜひご来場ください。


 平成十七年も早や半月が経ちました。一月十七日には阪神・淡路大震災から十年目を迎えます。十年一昔、確かに随分時は経ちました。しかし私たちにとってあの日は忘れようとして忘れられない日。ドドドドドドーという地鳴りとともにすべてがひっくりかえるかのような揺れ。その瞬間、これからいったいどうなるのだろう、という思いが走りました。かろうじて家も店も、家族も社員も無事でした。しかし壊滅的な被害を受けた神戸の街、神戸の人。その中で呉服屋が続けられるのだろうか。数日後、電気が復旧してぐちゃぐちゃになった店内を片付け営業を再開しました。「足袋ありますか」と買い物にお越しくださったのです、「結婚式で留袖を着ますので」と。あの瓦礫の中で着物を必要としてくださるお客様がおられる。呉服屋で良かった。すべてがご破算になった阪神・淡路大震災。だからこそ呉服屋で在り続けることを心に決めました。

 三年前の春、「この帯、どうですか」と数本の袋帯を持って「染の三條」の増田文明さんが来店されました。増田さんの知人の義弟が帯の機屋さんだったのが問屋さんからの注文が激減して一旦は廃業されたのがやはりどうしても帯を織り続けたくてその袋帯を織られたのこと。「とても良い感覚ですね。技術も素晴らしいし」と感想を申しあげると、「販売する方法がなくて困っておられるので販売をしてあげてくれないか」という相談でした。是非ご本人にお会いしたいと申しあげるとその夏に「織匠道長」の白数亮(しらすりょう)さんがあらたに織り上がった袋帯を携えてお越しくださいました。未来に道が拓けるのかどうか不安をかかえながら帯を織り続けることをなぜ決意されたのか、それは帯を織り続けたいという熱意だけが支えなのだ。白数さんの織られた袋帯には熱い思いがいっぱい込められていました。

 二年前の一月、「棄てがたきもの」と題して織匠道長展を開催いたしました。会期中、白数さんは会場に控えてくださったのですが次から次にお客様がお越しくださって白数さんが織られた袋帯をお求め下さいました。「本当に有り難いことです。どういう風にご覧いただけるか不安でしたから。少し自信がつきました。」と喜んでくださいました。昨年の一月には「励まされ支えられて」と題して二度目の織匠道長展を開催しました。今度はたくさんのお客様が白数さんの袋帯を締めてご来場くださいました。白数さんは顔を紅潮させて「自分の織った帯を締めてくださるのを拝見させていただくことは今までほとんど無かったので感激です。」と感謝されておられました。本年、一月二十二日から三十日まで三度目になる織匠道長展「ひたむきに」を開催するにあたって昨年の九月と十二月に新作の袋帯を持って白数さんがお越しくださいました。「色々迷いながら作り続けていますので考え出したら寝られなくなることも度々で一本織っただけで廃棄する帯もたくさんあるのです。」と作ることの難しさを額にしわを寄せながら語られます。しかし絶えず新たな技法、新たな感覚で織り出される袋帯を見せていただくとこの情熱が実を結ぶことを祈らずにおれません。一度は機屋をご破算にした白数さんのひたむきさがあればきっと未来に道は開かれると信じます。

 
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二月五日(土)より十三日(日)まで
 
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二月十九日(土)より二十七日(日)まで

二月十九日(土)二十日(日)両日、鹿児島より遠路関健二郎さんが弊店にお越しくださいます。

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。

 京都室町の紬問屋「加納」の加納荘五郎社長は呉服業界の過去・現在・未来を的確に見据えて為すべきこと為すべきではないことをしっかり見極めておられるのですが私のような小売屋を全国から十店舗ほど集めて「紬愛会(ちゅうあいかい)」という勉強会を年に数回開いて下さっています。昨年九月一日の会合の席上、加納社長は「ご多分に漏れず私もこの夏はアテネ五輪で寝不足気味でしたが試合後の選手のインタビューがそれぞれに含蓄がありました。なかでも卓球の福原愛さんの『オリンピックはまぐれが無いということがよく分かりました』という言葉がとても印象的でした。やったことの結果しか出ない、という意味で、〈ものづくり〉もまったく同じです。」と話されました。呉服業界で〈ものづくり〉を何より大切にされておられる加納社長ならではの感想だと感銘を受けました。
 同じ九月一日に四条烏丸の京都産業会館で「大島紬産地求評会」が開催されました。会場には鹿児島と奄美の両産地の大島紬の新作が展示され業界関係者からの評価を受けていました。作品には番号が付けられていますが織元の名前は伏せられています。しかし昨年、弊店で個展を開催した関織物の作品は一目でそれと分かりました。一味も二味も違っているからです。会場には関順一郎さん、健二郎さん親子もお越しになっておられて再会いたしました。関さんは全国の呉服屋さんに人気のようで次々にご挨拶を受けておられました。今、着物を愛するお客様に一番求められている着物なのでしょう。
 一昨年の七月の終わり、「紬愛会」の研修旅行で鹿児島を訪れ四軒の織元を見学しました。それぞれに個性があり主張がありどれもが素敵で産地の元気を実感できたのですが、なかでも関織物は残糸(使われないで残った糸)で織る、という発想のユニークさで鮮烈な印象を受けました。弊店のお客様に是非ご覧頂きたいとご相談申しあげて昨年の二月に「糸の命―残糸の大島紬」を開催いたしました。その一ヶ月前、家内も一緒に鹿児島を訪れ関織物を見学しましたが関順一郎さん、健二郎さん親子の〈ものづくり〉にかけるひたむきさに心打たれました。まさに〈糸づくり〉から始めて〈織づくり〉に至る気の遠くなるような時間と労力、それを支える〈ものづくり〉への熱いおもいとこだわり。
 会期中、たくさんのお客様に目を留めていただき残糸の大島紬をお求めいただいたのですが仕立て上げてあらためて「私共が使用している絹糸は6Aの最高品質の絹糸です。」とおっしゃられた関健二郎さんの言葉が深く理解できました。まさに最高の風合い、この大島紬をお召しになる方の着心地が最高であることを確信しました。是非その着姿もお見せしたくて今回、遠く鹿児島から関健二郎さんにお越しいただいくことになりました。関健二郎さんの〈糸づくり〉〈織づくり〉にかける思いをお聞き届けいただけたら、と考えてのことです。関健二郎さんもたくさんのお客様とのお出会いを楽しみにしておられます。