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冬のたより

 
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 平成十五年も残りあと数日になりました。呉服屋三十年目として迎えた今年、気がつくとあっという間に一年が過ぎようとしています。時の経つことの早さに焦りにも似た思いがしなくはないですが、それはしかし何事もなく一年が過ぎていこうとしていることでもあり、何が起きてもおかしくない時代、無事であるということがどれ程ありがたいことでしょう。無事是吉祥ということばの意味の深さを噛み締めます。
 来年、呉服屋になって三十年になるのだ、と気付いて、折角だから何かできないか、と考えたとき、ひとつ考えたのはどこか会場を借りて「呉服屋三十年記念展」のようなものを開催することでした。きっと十数年前だったらそうしたことでしょう。十数年前までは弊店もそうしていましたから。しかし呉服屋になって三十年かけてたどりついた「商いの道」はそれと違う方向に歩んできた「道」だった。もと来た「道」に立ち戻ることは出来ない。自分の足で進んできた「道」を進むことこそ呉服屋として三十年かけて見つけた「道」ではないか。「呉服屋三十年」としてお客様にお示しするとするならその「道」こそ見ていただきたいと思いました。
 では、どうしてこの「道」にたどりついたのだろう、と思い返したとき、私なりの「商いの道」を見つけられたのは「人」との出会いであったことに思い至りました。増田文明さん、山田実さん、多田英一さん、加納荘五郎さんをはじめとする取引のあった問屋の「人」、名和野要さん、横山喜八郎さん、樋口隆司さん、横山俊一郎さん、小山憲市さん、白川英治さん、芳賀信幸さん、長田けい子さんのような染織家の「人」、その人達との出会いの中で呉服屋が何をしなければならないか、を知りました。呉服屋の仕事とは何か、を気付かせてくださった「人」との出会い、「呉服屋三十年」で何よりそのことをお客様にお伝えしたいと考えたのです。
 一年をかけてあらためてふりかえったとき一番大切なことは、「誰」のために「何」のために呉服屋を続けているのか、ということです。それが「お客様」のために「良い商品を提供する」ためでなければ呉服屋を続けていくことはできないでしょう。それが「呉服屋三十年」で私が見つけた「商いの道」でした。それを私に教えてくださったのは誰よりも「お客様」でした。きものや帯をおすすめしてお買い求めいただき「どうですか」とその着姿を見せていただいて「良かったですね」とおっしゃっていただけたときほど呉服屋としてうれしいことはありませんし呉服屋であることを誇りに思えることもありません。「お客様」に「良い商品を提供する」ことがどれほど大切か、そのことを肝に銘じてこれからも呉服屋を努めさせていただきます。


 
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新春初絹 襦袢の会
一月三日(土)より十二日(月)まで

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は格別のご愛顧を賜り心より御礼もうしあげます。
 本年も相変わりませずご厚情の程よろしくお願いもうしあげます。

 年があらたまると不思議と心もあらたまるものです。往時、私共の業界では新年早々に京都の問屋で一斉に「初市」が開かれそれぞれのお店を訪ねると入り口に門松、奥には正月飾りも賑々しく黒紋付の羽織袴で出迎えてくださる社長様と新年のご挨拶を交わし朱墨で清々と「お年玉特価」と書かれた会場でご祝儀の仕入れをしたものです。翌日には「初荷」とやはり朱色で書かれた札が貼られた荷物が届き、さあ今年もがんばるぞ、と早速その商品を持ってお客様のお家に新年のご挨拶におうかがいしたものでした。その荷物には「胴裏」とか「襦袢」も一緒にお持ちして「ご祝儀の初絹に」とおすすめさせていただきました。
 あれから三十年も経つとそれはもうとっくの昔話であり夢物語でもあります。いつの頃からか京都の問屋で「初市」が開かれなくなり「初荷」の札も見なくなりました。「初絹」という言葉をご存知のお客様もきっと少なくなったことでしょう。それは時代の流れではありますが往時を知るものには一抹のさみしさがあります。せめて「初絹」という綺麗な言葉を残したくて「新春初絹 襦袢の会」を開きます。「バイオリン袋帯」が生まれるご縁を繋いで下さった掛水一男さんが一昨年「シルクブレイン」という会社を興されて襦袢を専門に取り扱っておられます。世の中まだこんなに楽しい襦袢がたくさんあるのだ、というのはそれだけで驚きです。「お年玉特価」の襦袢もご用意いたしました。お手入れ簡単で人気のシルック襦袢も取り揃えております。千客万来の程お願いもうしあげます。

 
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織匠道長 励まされ支えられて
一月二十二日(木)より二十七日(火)まで

 あれから一年が経ちました。一昨年の六月、増田文明さんが数本の袋帯を持参されたのがそもそものきっかけでした。白数亮さんという帯の製造元が問屋との取引が激減して一旦は廃業されたのがやはりどうしても帯を作り続けたくて一年後に製造を再開されたけれど販路がなくて困っておられる、弊店で販売を検討できないか、というお話しを持ち込まれたのです。その袋帯はどれもさりげなくさわやかでした。「良い帯ですね。ご本人ともお会いしたいですね。」それからほどなく帯の制作者である白数亮さんと岩永明さんが増田さんの紹介でお越しくださいました。和紙を素材に用いることに取り組んでいること、「道長」という古典文様に魅せられ帯の製造を再開するにあたって「織匠道長」と名付けたことなどを聞かせてくださいました。その実直な語り口、織り手としての自負、何より新たに織り上がった帯の清新さに心を動かされいつか是非弊店で発表する機会をおつくりすることを約束しました。そして昨年一月「織匠道長 棄てがたきもの」という発表会を開催いたしました。
 発表会には弊店のお客様にあらかじめ声をおかけして着物姿でご来場いただくようお願いしました。白数さん岩永さんにお客様がどのように着物と帯を組み合わせてお洒落を楽しまれておられるかをご自身の眼で確かめていただきたかったのです。得てして帯屋さんは帯だけを見てものづくりをされておられる、そのことがひとりよがりで使いにくい帯が巷に多い原因ではないか、と考えていたからです。会期中たくさんのお客様が呼びかけに応えてくださって着物姿でご来場くださいました。それぞれが気取らず何気なくキモノファッションを楽しまれておられるのをご覧になってきっと何かを感じてとってくださっただろうと思いました。会場では「織匠道長」の袋帯をたくさんのお客様がお求めくださったのですが「こんなふうにお買い求めくださって自信がつきました」と白数さんはとても喜んでおられました。発表会の直前、お客様にどう評価をいただけるか不安で血圧が高くなられたほどでしたから喜びもひとしおだったことでしょう。
 その後「織匠道長」さんが新たな帯作りに取り組まれておられることは増田さんから伝え聞いていました。しかし昨今のことのほか厳しい商況のなか織り続けることがどれほど困難なことか想像するに余りあるものがあります。十一月の初め「新作が出来上がってますので見てあげてください」と増田さんからご連絡いただき京都で白数さんと再会しました。とてもお元気そうで見せていただいた新作の袋帯はどれも感動的な出来映えでした。さりげなさがさらに洗練され広がりと豊かさがあります。「お店で会を開いていただいて本当に勉強になりましたし励みになりました。あれから一年、私なりにどうしたらもっと良いものが出来るか色々やってきました。どうでしょうか」と真顔でおたずになるので「本当に良いものが出来ましたね。本当に良いですよ」とだけお答えしました。是非お客様に新作の袋帯を見ていただき「織匠道長」さんのこの一年のご努力を見届けていただきたいと心に決めました。
 
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振袖グランドフェアー 夢・はばたく
二月一日(日)より八日(日)まで
 
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糸の命 残糸の大島紬
二月二十二日(日)より二十九日(日)まで

 伊丹空港を飛び立って一時間、桜島を眼下に見下ろして飛行機は着陸体勢にはいりました。鹿児島空港に降り立つと大島紬織元「関絹織物」の関健二郎さんが出迎えてくださって、関さんとは半年ぶりの再会です。昨年の七月、京都室町の紬問屋「加納」の「紬愛会(ちゅうあいかい)」の研修旅行で鹿児島を訪れたおり現地の案内をしてくださったのが関さんでした。「南風織物」「中川織物」「関絹織物」「東郷織物」という四軒の織元を見学させていただいたのですがそれぞれ個性あふれる良質の大島紬を生産されていることに心打たれまた心強く感じました。とりわけ「関絹織物」が取り組まれている「残糸の大島紬」には強く心惹かれました。

 「関絹織物」は最高度の技術を駆使した絣模様の大島紬から縞・格子の大島紬まで幅広く製造されておられる織元ですが関健二郎さんの父君である関順一郎さんは長年にわたって「残糸の大島紬」の開発に努めてこられました。「残糸」とは「残りの糸」。大島紬を織り上げるのに織元では必ず予備の糸を余分に用意されるそうで一反織り上げると予備の糸は「残糸」として残っていきます。「残糸」は用済みの糸ということでそれまでは廃棄されていたのですが関順一郎さんは「残糸」を織物に再生できないかと取り組まれました。大島紬はその糸を染めるのに泥染という独特の染色方法を用いますが車輪梅や藍で染めた糸を泥田の泥で媒染するという工程を何度も繰り返す糸にとってはとてもきつい工程でそれに耐えられる最高品質の絹糸が使用されています。「残糸」といえども最高度の素材と加工の糸、関順一郎さんは「残糸」のそれぞれの性質、太さ、色、模様、糸一本一本がもつ個性をどう生かせば良い織物ができるかを長年にわたって織物づくりにたずさわってこられた知識と経験と技術を駆使して「残糸の大島紬」を創作されました。

 昨年七月「関絹織物」を見学して強く心惹かれたのは細い一本の糸にも命があり「糸の命」を全うさせてやりたいという作り手の思いの深さ優しさでした。「この糸は、あの糸は」と残糸を手にとって話してくださる関順一郎さんの表情になんと糸への慈しみがあふれていることか。是非家内にも見せてやりたいと再び鹿児島を訪れたのです。空港から市内への車中関健二郎さんは「結局、作るのが好きなんです。生まれたときから機場、機の音を聞いて育ちましたから。父は一日中糸をさわっていると機嫌が良いのです。」途中、鹿児島名物の黒豚の鍋料理をご馳走して頂いて「関絹織物」へ。一階は糸繰り場、棚や籠は糸、糸、糸。泥染、藍染、松煙染、とりわけ関絹織物では奄美大島に多く自生する椎の木で染めた糸を愛用されています。赤みを帯びた深い茶色。残糸をどう組み合わせてたて糸や横糸にするのかを聞かせていただきました。二階は機場、十台ほど織機がありその日は四人の女性が機織をされていました。織手の技量は織っているときの織機の音で分かるそうです。床が揺れるほどダンッ、ダンッと大きな音がします。

 棟続きのご自宅で織り上がった「残糸の大島紬」を見せていただきました。一反一反、広げては「楽しいキモノでしょ」と関健二郎さんがおっしゃいます。本当にどれもどれも楽しい。「残糸の大島紬」はひとつとして同じものはありません。たて糸、横糸をどう織り込んでいくのかはその都度考えながら織っていくのです。自由なキモノ、だから着る人も自由に着こなしが楽しめるキモノ。お父さんが始められた「残糸の大島紬」を関健二郎さんはさらに「楽しいキモノ」に広げておられる。「私のキモノ見つけた」という面持ちの家内に「どうぞ好きなだけ選んでください。お店のお客様に見ていただくキモノを」とおっしゃっていただいて家内は嬉々としてあれもこれもと選んでいます。どれも素敵で楽しくて早くお客様にお見せしたいです。