暮れも押し迫った12月20日、水曜日、家内と二人で京都に出向きました。勿論、仕事で。週休二日の時代ですが、家内と二人だけの商売ですから二人一緒となると、たとえ仕事だからといっても営業日に店を閉めて出るわけにいかず、どうしても定休日に出向くことになります。去年も平均すると定休日らしい定休日は半分もあるでしょうか。週休二日どころか月休二日がよいところです。
 12月20日に京都に出向いたのは永川絞り工房で懸案のオリジナル絞り染ハンカチの発注の相談、3月に個展を開催していただく伊勢型小紋の大野國さんとの打ち合わせ、京焼きの上田吉さんから商品の受け取り、などの商用でしたが、一番の用向きは1月20日から弊店で綴織りの帯の個展を開催していただく服部綴工房を見学することでした。
 服部綴工房の服部秀司さんと初めてお会いしたのは3年前の9月に遡ります。京絞り寺田の寺田豊さんとご一緒に飛び込みで弊店にお越しくださったのです。呉服業界が抱えている大きな課題は流通だ、良い形で商品が生産者から消費者に渡らない、その問題を解決する為に直接小売屋の意見を聞きたい、という趣旨でした。小売屋として私も同意見でしたので意気投合し、以後、お二人との出会いから京絞り寺田や墨流し染めの高孝の個展を開催して参りました。
 本来であればもっと早く服部秀司さんの服部綴工房の個展を開催させていただくのが筋なのですが正直、なぜ今まで満を持していたか、ということです。それは綴織がおかれている現状が極めて厳しいからです。絞り染めも一時、韓国、中国へと生産が移行し、かつて考えられないほどの廉価で大量に生産され、国内生産は激減し、国内産地は壊滅してしまいました。しかし着物であれ、羽織であれ、帯であれ、やはりデザインが命ですので、レベルの高い消費者の評価を受けるには、それなりのセンスが必要です。寺田豊さんはまさにそのセンスをもって国内でしか作れない絞り染めの可能性を追求され、成果を挙げてこられました。
 しかし綴は帯ですので表現するところは一尺四方の太鼓柄、縦横にセンスを発揮しようとしても限りがあります。さらに綴織の性格上、凝ればこるほど高価にならざるを得ない。綴織がおかれた状況の厳しさは誰よりも服部秀司さんご自身が認識されておられるのは当然といえば当然で、だからこそ末端価格が肥大した流通の現状を変えなければ、という思いを強く抱かれたのでしょう。
 京都市北区平野桜木町のご自宅はなんとなく想像していた通りの落ち着いた邸宅で大正九年の築造だそうです。奥座敷に通していただき奥様、お父様、お母様とご挨拶させていただきました。広げていただいた綴帯はさりげないボカシが軽やかで、勿体ぶった従来の綴帯の印象を一新します。弊店での個展に向けて新作を制作中とのことで楽しみです。
 ご自宅から歩いて数分のマンションの一室が工房です。三台の織機がおかれてありました。超ベテランの乗本邦郎さんが機織をなさっておられました。ふたりの舞妓さんのあでやかな後姿を爪でかき寄せ櫛で打ち込んでおられます。綴織でぼかす技法や割留という手法を実地で見せてくださいました。素早くこともなげにされてるように見えますが服部さんは「これだけの技術を持った織子さんはそうざらにはおられません」とのこと。乗本さんはお父さんから厳しく教え込まれたそうです。一見同じに見えて似て非なるものは世の中にたくさんあります。似非が誤解をあたえ評価を下げる。その結果、本物が、本当に良い物が消えていくとしたら、そういう危機的な状況に今、私たちは直面しています。
 綴織、それは長い間、日本の織物の精華でした。帯、袱紗、祝い事に欠かせない織物でした。綴る、とは思いを込めること。日本人が遥か昔から綴織に込めてきた思い、それを断ち切ることがあってはならない。服部秀司さんの熱い思いはきっと実を結ぶと信じます。