思いがけない贈り物のような出会い、「染の高孝」高橋孝之さんに出会えたことは天恵ともいえる大きな喜びでした。差し出された名刺に記された新宿区高田馬場という住所が目に留まりその感は一層深くなりました。 早稲田大学の学生だった頃、日々通った場所。「工房をお尋ねして良いですか」。「どうぞお越しください」と二つ返事でお受けくださいました。三月三日、早朝、神戸を出て東京へ、山手線に乗り換えて高田馬場に着きました。 かつて毎日のように乗り降りした駅。頂いていた地図にそって歩いていくと十分ほどでたどり着きました。ここが都心か、といぶかしくなるほど静かです。高橋さんは展覧会に出品する作品の製作中でしたが、「丁度切の良いところです」と手を止めてギャラリーに案内してくださいました。 京都で初めてお会いしてから五ヶ月ぶりの再会でしたがもう何度もお会いしたような親しみがあります。どうして工房をお尋ねしたかったかを学生時代の思い出も引き合いに出しながらお話いたしました。家内は早く作品を見せていただきたくて、お願いすると次々に着物を広げてくださいました。 京都では数点だったマーブル染も彩りがたくさんあって新しい柄が次々に現れるたび家内は歓声を上げ興奮気味です。どうしてこのように多彩に華麗に「水の紋様」が描かれるのか、素朴な疑問に高橋さんはファイルに綴じられた写真を見せてくださりながら説明してくださいました。 ファイルには高橋さんの作品が「美しいキモノ」をはじめ様々な雑誌に紹介された記事も綴じられています。是非弊店のお客様にもマーブル染の着物をご覧頂きたくて個展の開催をお願いすると快よくお受けいただきました。気がつくともう三時間近くたっています。 五月の二十一日(土)二十二日(日)の二日間、弊店にお越しくださってマーブル染を実演してくださるとのこと。再び神戸でお会いできることを楽しみにお別れしました。
 帰りの新幹線の車内、お預かりした資料に目を通したのですが雑誌に紹介されているマーブル染の工程をこの目で確かめたいという思いにかられました。帰宅してお礼のお電話を差し上げたとき 「ご迷惑だと思いますがマーブル染をなさるときお邪魔でなければもう一度工房におうかがいしたいのですが」と申しあげると、四月に入って高橋さんから「十四日に染めますので」とご連絡をいただきました。 再び高田馬場の工房を尋ねるとすでに作業を進めておられました。染場の真ん中に長さ14メートル、幅60センチ程の水槽が敷かれています。水槽の中の水には糊が混ぜられていて適度に粘りが保たれているとのこと。 そこに顔料を筆先につけて垂らしていきます。最初、輪になって広がった顔料を棒でかき混ぜていくと見事に「水の紋様」が描き出されるのです。まるで魔法使いが魔法の杖を振ったかのように。 「今度はこんな風にします」と熊手のようなもので水面をなぞると孔雀の羽のような模様が浮かび上がってきます。「水」を意のままに動かして「水の紋様」を描いていく。しかし「水」はあくまで「水」の意思で動いている。 きっと高橋さんはその時「水」になっているのだろう。だから「水」は高橋さんの意のままに動いていく。「いいのが出来た。楽しいね。こんなに楽しんでいいのかな」。 「さあ、いこう」と弟子の染谷洋さんに呼びかけると染谷さんが伸子を張って用意していた白生地を両側からふたりで引っ張り合って水槽に落とし込みます。見事にど真ん中から水面に落とされた白生地はあっというまに両端まで染料を吸い込みます。 慎重に水面から引き上げると水面はすべて染料が吸い上げられて跡形も無くまたもとの透明な水に戻っています。「墨流し染を始めた人はたくさんいるけれど失敗が多いので今は私とあと何人いるかな。ほとんどいないですね。色々試行錯誤を繰り返してきました。 誰に教えてもらったわけではない。自分でね。」何気ない作業にどれほどの経験が蓄積されてきたのか。五月二十一日(土)二十二日(日)、弊店にご来店くださる高橋孝之さんの「心」と「技」を是非ご覧下さい。