平成十七年も早や半月が経ちました。一月十七日には阪神・淡路大震災から十年目を迎えます。十年一昔、確かに随分時は経ちました。しかし私たちにとってあの日は忘れようとして忘れられない日。ドドドドドドーという地鳴りとともにすべてがひっくりかえるかのような揺れ。その瞬間、これからいったいどうなるのだろう、という思いが走りました。かろうじて家も店も、家族も社員も無事でした。しかし壊滅的な被害を受けた神戸の街、神戸の人。その中で呉服屋が続けられるのだろうか。数日後、電気が復旧してぐちゃぐちゃになった店内を片付け営業を再開しました。「足袋ありますか」と買い物にお越しくださったのです、「結婚式で留袖を着ますので」と。あの瓦礫の中で着物を必要としてくださるお客様がおられる。呉服屋で良かった。すべてがご破算になった阪神・淡路大震災。だからこそ呉服屋で在り続けることを心に決めました。
 三年前の春、「この帯、どうですか」と数本の袋帯を持って「染の三條」の増田文明さんが来店されました。増田さんの知人の義弟が帯の機屋さんだったのが問屋さんからの注文が激減して一旦は廃業されたのがやはりどうしても帯を織り続けたくてその袋帯を織られたのこと。「とても良い感覚ですね。技術も素晴らしいし」と感想を申しあげると、「販売する方法がなくて困っておられるので販売をしてあげてくれないか」という相談でした。是非ご本人にお会いしたいと申しあげるとその夏に「織匠道長」の白数亮(しらすりょう)さんがあらたに織り上がった袋帯を携えてお越しくださいました。未来に道が拓けるのかどうか不安をかかえながら帯を織り続けることをなぜ決意されたのか、それは帯を織り続けたいという熱意だけが支えなのだ。白数さんの織られた袋帯には熱い思いがいっぱい込められていました。
 二年前の一月、「棄てがたきもの」と題して織匠道長展を開催いたしました。会期中、白数さんは会場に控えてくださったのですが次から次にお客様がお越しくださって白数さんが織られた袋帯をお求め下さいました。「本当に有り難いことです。どういう風にご覧いただけるか不安でしたから。少し自信がつきました。」と喜んでくださいました。昨年の一月には「励まされ支えられて」と題して二度目の織匠道長展を開催しました。今度はたくさんのお客様が白数さんの袋帯を締めてご来場くださいました。白数さんは顔を紅潮させて「自分の織った帯を締めてくださるのを拝見させていただくことは今までほとんど無かったので感激です。」と感謝されておられました。本年、一月二十二日から三十日まで三度目になる織匠道長展「ひたむきに」を開催するにあたって昨年の九月と十二月に新作の袋帯を持って白数さんがお越しくださいました。「色々迷いながら作り続けていますので考え出したら寝られなくなることも度々で一本織っただけで廃棄する帯もたくさんあるのです。」と作ることの難しさを額にしわを寄せながら語られます。しかし絶えず新たな技法、新たな感覚で織り出される袋帯を見せていただくとこの情熱が実を結ぶことを祈らずにおれません。一度は機屋をご破算にした白数さんのひたむきさがあればきっと未来に道は開かれると信じます。