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 この夏のことのほかの猛暑もさすがに九月に入ると朝夕、秋の風が心地よい季節になりました。なにより風にこそ季節の移ろいを感じるものです。近頃、心なしか「和」の風を肌に感じるのは私だけでしょうか。呉服屋という商売柄、常々「きもの」をお客様がどうお考え下さっているのかとても関心がありまた身近に感じるのですが、最近「きもの」に深く興味をお持ちくださるお客様が多くなってまいりました。それはおそらく大きくは「和」の風が吹き始めたということなのでしょう。
 この百数十年の間に私たちの国、日本には二度、自国の伝統文化を否定する時代がありました。最初は明治維新、西欧列強の植民地にならないよう近代国家建設のため、二度目は太平洋戦争での敗北のあと民主主義国家に再生するために。そのどちらもが時代の要請として日本という国にとって歴史的に正しい選択ではあったとしてもそのために失ったものもまた大きかったでしょう。第二次世界大戦の敗戦から六十年を超えた今、日本の伝統文化の見直し、「和の回帰」が色々な分野で広がっていることはある意味で当然であり、また極めて望ましいことです。
 六月の終わり頃、ツイキコーポレーションの立木睦郎さんから「是非ご紹介したい機屋さんがあるのですが」というお話を頂戴しました。立木さんは川島織物で長くお仕事をされた方ですが在職中から親切に弊店のお世話をしてくださいました。川島織物を退職し独立されてからも何くれと無く弊店を気にかけてくださっていました。立木さんからご紹介いただく機屋さんの資料を頂戴するとその機屋さんは「錦松」という能装束の織元でした。取引先は能楽師、狂言師。そして能装束を織る織機で袋帯や名古屋帯も製作されておられるとのことでした。私自身これまで能装束の織元はまったくご縁が無かったものですし弊店のお客様で「能」をたしなまれる方がたくさんおられて非常に興味を持っておりましたので二つ返事でご紹介いただくことにいたしました。
 六月三十日、京都御所の西北角、烏丸今出川から少し西に入った室町通りに面した「錦松」を尋ねました。中に入ると唐織(からおり)厚板(あついた)長絹(ちょうけん)という能装束が展示されています。社長の中島一治さんはご自身能楽師の風格をおもちで能装束について、糸は滋賀県の余呉で春蚕の繭糸からつくられる糸だけを使用すること、とか織機は西陣で旧来より使用されている「堀機(ほりばた)」、掘りごたつのように地面に穴を掘った織機で手織りすること、とかをご説明いただきました。弊店で親しくお客様に能装束をご覧いただく機会をおつくりしたい、とご相談すると快くお引き受けいただき、九月の十八日から二十六日まで「錦松 能装束展」として開催させていただくことになりました。中島社長ご自身が能装束のご説明に九月十八日、十九日、二十日の三日間、弊店にお越しくださるとのこと、何よりお客様にお喜びいただけることとありがたく思いました。
 「能装束のご参考に」と中島社長が帰り際「井伊家伝来 能装束百姿」という能装束の図録をお貸しくださいました。「能装束のことが満遍なく紹介されていますのでご覧ください」とのことです。店に持ち帰って、その中に掲載された能装束の写真、解説を見せていただき驚きを禁じえませんでした。それは初めて見る能装束の意匠、デザインが私が呉服屋になって以来、一番親しく身近であった「千總」の友禅、「川島」の帯、の意匠の原典であったからです。そうか、私の「きもの」の原点は能装束にあったのだ、というのは私にとって思いがけない大発見でした。あれから三十一年、「古典柄」に対する新鮮さを失って「古典柄」への興味を失いかけていた私自身へ、それは「古典への回帰」を促す大きな一歩になるであろうことへの予感でした。