伊丹空港を飛び立って一時間、桜島を眼下に見下ろして飛行機は着陸体勢にはいりました。鹿児島空港に降り立つと大島紬織元「関絹織物」の関健二郎さんが出迎えてくださって、関さんとは半年ぶりの再会です。昨年の七月、京都室町の紬問屋「加納」の「紬愛会(ちゅうあいかい)」の研修旅行で鹿児島を訪れたおり現地の案内をしてくださったのが関さんでした。「南風織物」「中川織物」「関絹織物」「東郷織物」という四軒の織元を見学させていただいたのですがそれぞれ個性あふれる良質の大島紬を生産されていることに心打たれまた心強く感じました。とりわけ「関絹織物」が取り組まれている「残糸の大島紬」には強く心惹かれました。
 「関絹織物」は最高度の技術を駆使した絣模様の大島紬から縞・格子の大島紬まで幅広く製造されておられる織元ですが関健二郎さんの父君である関順一郎さんは長年にわたって「残糸の大島紬」の開発に努めてこられました。「残糸」とは「残りの糸」。大島紬を織り上げるのに織元では必ず予備の糸を余分に用意されるそうで一反織り上げると予備の糸は「残糸」として残っていきます。「残糸」は用済みの糸ということでそれまでは廃棄されていたのですが関順一郎さんは「残糸」を織物に再生できないかと取り組まれました。大島紬はその糸を染めるのに泥染という独特の染色方法を用いますが車輪梅や藍で染めた糸を泥田の泥で媒染するという工程を何度も繰り返す糸にとってはとてもきつい工程でそれに耐えられる最高品質の絹糸が使用されています。「残糸」といえども最高度の素材と加工の糸、関順一郎さんは「残糸」のそれぞれの性質、太さ、色、模様、糸一本一本がもつ個性をどう生かせば良い織物ができるかを長年にわたって織物づくりにたずさわってこられた知識と経験と技術を駆使して「残糸の大島紬」を創作されました。
 昨年七月「関絹織物」を見学して強く心惹かれたのは細い一本の糸にも命があり「糸の命」を全うさせてやりたいという作り手の思いの深さ優しさでした。「この糸は、あの糸は」と残糸を手にとって話してくださる関順一郎さんの表情になんと糸への慈しみがあふれていることか。是非家内にも見せてやりたいと再び鹿児島を訪れたのです。空港から市内への車中関健二郎さんは「結局、作るのが好きなんです。生まれたときから機場、機の音を聞いて育ちましたから。父は一日中糸をさわっていると機嫌が良いのです。」途中、鹿児島名物の黒豚の鍋料理をご馳走して頂いて「関絹織物」へ。一階は糸繰り場、棚や籠は糸、糸、糸。泥染、藍染、松煙染、とりわけ関絹織物では奄美大島に多く自生する椎の木で染めた糸を愛用されています。赤みを帯びた深い茶色。残糸をどう組み合わせてたて糸や横糸にするのかを聞かせていただきました。二階は機場、十台ほど織機がありその日は四人の女性が機織をされていました。織手の技量は織っているときの織機の音で分かるそうです。床が揺れるほどダンッ、ダンッと大きな音がします。
 棟続きのご自宅で織り上がった「残糸の大島紬」を見せていただきました。一反一反、広げては「楽しいキモノでしょ」と関健二郎さんがおっしゃいます。本当にどれもどれも楽しい。「残糸の大島紬」はひとつとして同じものはありません。たて糸、横糸をどう織り込んでいくのかはその都度考えながら織っていくのです。自由なキモノ、だから着る人も自由に着こなしが楽しめるキモノ。お父さんが始められた「残糸の大島紬」を関健二郎さんはさらに「楽しいキモノ」に広げておられる。「私のキモノ見つけた」という面持ちの家内に「どうぞ好きなだけ選んでください。お店のお客様に見ていただくキモノを」とおっしゃっていただいて家内は嬉々としてあれもこれもと選んでいます。どれも素敵で楽しくて早くお客様にお見せしたいです。